国語辞典の中にも探すと矛盾のようなものはあって

俺、最近自分に気品が無いなぁと思ってるんですよ。

じゃあ昔はあったのかというと真似事としての礼儀は出来て、仲良しの友達とはゲーセンでストリートファイターでケンカばっかりしてたけど、ゲーセンに来る人の中にも年上の人とか社会人に見える人はいて、それに対しては礼儀正しくしてたんですね。

まあ、どうして良いかわからない距離感のある相手に丁寧に接するというのが子供なりの用心だったんですけど、自分が社会人になったときオッサンニートであることを既に知った年上の人に丁寧に接していると、自分より年下から俺がへりくだることでオッサンニートやオバチャンが超偉く見えているのに気付いたんですよ。

会社の中で上司や先輩の上下関係があるのは組織として承諾できるんですけど、たとえば富士通をリストラされたハゲのオッサンが技術めっちゃあるのにゲーム会社で若いグラフィックデザイナーの肩書を持ったヘボい絵かきに下っ端としてこき使われるのを見たりすると、技術者を舐めるな!みたいな憤りがあったりして、それとオッサンニートやオバチャンがわけなく年食ってるだけでふんぞり返ってるのも面白くなくなって、失礼には失礼を返すようになったんですよ。民度低いと思われるかもだけど、俺ミヤザワなので。

ところで民度とか何かとあらためて辞書で引くと、主に対する臣民という括りはなく「地域の文化度」くらいのふわっとした意味の言葉なんですね。

そして文化を引くと、それは外来語カルチャーの訳語として当てられた民族性のことなんだけど、相対文化主義においてそれぞれの文化は異なっているだけで高低や優劣の差はないとされるという解釈が添えられてるんですよ。つまりピラミッドとタージマハルと東京都庁奈良の大仏どれがいちばん偉いかは分からない、みたいな。

でも民度って言葉は文化の優劣比較だし、治安の良さと比例する異文化に対する攻撃性の大小ってのは少なからず比較の対象になると思うんですよ。

理解して疎通しようとするか、物理的にか精神的にか攻撃によって排除しようとする、みたいな。まあ、コンビニでエロ本立ち読みするか電車の中で痴漢するかパソコンでエロゲーをするかどれが性の処理方法として文化的かというとエロゲー>コンビニ>痴漢で痴漢まで行くと犯罪だろと思うんですけど、パソコンエロゲーの内的描写というと痴漢どころではないエグいものもあるわけで、結局は文化度ってその外面的な所作を持ってしてしか測られていない感じもするんですよね。

そういう意味ではコンビニでエロ本読んでる土方のオッサンでも言葉は荒くても弱きを守るやさしさも持ち合わせていて、その守られるべき弱さは女子供の非力さであって、いい年して勉強できて体ひょろい文化的草食男子とかに「おい童貞!」みたいに絡むその瞬間だけを取り上げて非文化的と捉えるのは草食男子と土方のオッサンにそこしか接点が無いからであって。

だから、まだ俺は対外的に自分と文化圏の違う人が自分に向けてくる攻撃性だけで彼らというか自分の家の近所のオッサンおばはんを毛嫌いしてるけど、母親がいなくなると洗濯と風呂洗いが面倒で汗臭いままコンビニくらいなら良いかな、とか外出しちゃって女子高生から「くっさー」と笑われたりするよりは、おばちゃんがドラッグストアでアタックとニュービーズとソフランのどれが安いかよく効くか毎日チラシを見て洗濯しているみたいな、口は悪いけど清潔であるという当たり前のメリット、メリットは洗剤じゃなくてシャンプーか、いやそうでなくて長所の意味でのメリット。そこも全部分かるまでは毛嫌いしてはいけないなと思ったら、あの攻撃性の源泉は何であるか怒りから興味に変わってきたんですよね。

まあ、ミヤザワである自分も含めて自分の住む地域の民度を上げていきたいと。攻撃性に攻撃性で返すから高校くらいまでケンカばっかしてたんですよ。どう返せば良いか、もっと考えないとね。