リュウと豪鬼どちらが有利か考えてたら人生の意味が何となく分かった

まあ、哲学において自分の思考を深く掘り下げるのに出発点は何でも良い気はする。

世のほとんどの人は、あるいは全員が原初に置いては自然理解のために獲得した知能ではあるが、近現代においては既に形成された社会に対する理解のために知能を獲得する。しかし社会的成功や自然的生存自体にフルスペックは不要で、余った時間を趣味や哲学に当てる。趣味に没頭できている間は良い。だが、ふとした時に趣味の意味を疑ってしまったら、そのへんのスタートラインが趣味を究めたり飽きたりしたところになるのだが、哲学的な深さとは掘り下げるに値する趣味の山の高さと同義ではないか。

これ、俺のブログにしては珍しく簡単にまとまってしまったのでここで終わる。