安彦良和さんの作品はガンダム以外に知らない私ですが

「戦争はなくならない」あるいは「今までの歴史で戦争はなくならなかった」

というテーマのみを自分なりに考えてみたんですね。

俺は人は殺したことはないけれど、自分と関係ある人間がイジメ自殺にあって助けられなかったことがあるし、骨が折れるほどの力で人を殴ったこともある。

だから、そういう痛みを経験したことがない人間が人に暴力を振るってしまうというのは親に殴られたことのない姉の子供がアンパンマンを見て自動車で運転中におじいちゃんや俺をどんどん殴って、小さいうちは大した威力じゃないけどだんだん痛くなってきてですね、皆困っているので同じくらいの強さで殴ってみたらそれで殴らなくなったんだけど、女の子を殴ったということで義兄さんとの仲も最悪になって俺がいじめられ役になってしまった、という身近な問題があるんですね。

そういう意味で痛みの連鎖みたいなものは身近な例でも無くならないんですけど、戦争を繰り返して大国であるアメリカとソビエトが出来て、大戦後に冷戦になったという冷戦の歴史なら生きて体験してきて、戦争はもしかしたら無くならないかもだけど、だんだんとまとまりが良くなって、頻度は減って、死ぬ人の数とか壊される物の数は減ってきているんじゃないかとは思うんですね。

ただ、俺がまるで戦争のように保存食を買ってエアガンやバットなどで武装して、家でプレステでガンダムのゲームを遊んでいる、というのも事情があって、人が死ななくなるだけで戦争がなくなって豊かになるのかと言うと、身分的な奴隷制度が無くなっても貧富の差は有り、将来的な貧富を争って子供が受験勉強で青春を失うという時代を見てきたわけです。

俺が家でこもって楽しんでいるプレステのゲームは精一杯の幸福なんですよ。ただ、単純に家にこもってゲームをしてケータイで写真を撮ってネットにアップするのも、中学時代にゲームのスコアを自慢して同級生に「嘘だ!」と言われたから、証拠が必要だろうと思って写真を撮っているんですけど、なかなかに信じがたい高スコアの場合は捏造写真やプログラム改造をネットで見た人に疑われたり、民家の二階の部屋からシャッター音が聞こえてきたので近所から盗撮の疑惑をかけられたりというような別の揉め事が発生するんです。他愛のないことなんですよ。理解し合うのが決して難しくはない事案なのに、距離感と勘ぐりで関係が悪化することなんていくらでもあるんです。

それは決して中学の同級生が俺が将来に盗撮の疑惑をかけられるように画策して「写真を撮ってみせろ」と命令したわけではない。けど、玉突き状には似たことが起こっている。まだまだ、俺の身の回りではマウントの取り合いで、俺も簡単には引き下がれないかった。今はね、何事も勝ちすぎないように我慢してるんですよ。

青春時代の貴重な時間をゲームの練習に当てた。そのゲームはひょっとすると壮年期の働きを子供の娯楽のために無味乾燥のプログラミングに誰かが当てて作ったものかもしれない。結局の所、まだまだ世の中には働き者と怠け者がいて、怠け者が道具を使って楽をするのではなく、人を道具のようにしてしまってラクをするがゆえに徒労に追われる人生を送っている人が少なからずいて、そこを苦愛の宗教で乗り越えてもらうか、俺みたいに病人になって薬漬けに酒と煙草で擬似的な脳科学的な幸福感の人生を過ごすか。

数学的にはおかしくて歴史的には古くてもマルクスの最大多数の最大幸福みたいなものがあったら良いのにねってどこかで思いはするんですけどね。

だけど、他人の幸福のために自分がわざとゲームを負けるのは我慢できるんですけど、そうやって負けると今まで勝っていたから応援してくれていた人からの当たり方が仕返しみたいになってきて、今はそれを我慢しているんです。ただの100円の取り合いではなく、わざと負けて最大幸福ってわけには行かないものだなとあらためて知ったのです。