今日のGGXXAC+(ディジーでアーケードをクリア)

実はまだソル・アクセル・エディ・ジョニーの4キャラしかクリアしていない。

そしてチップを選んでみて、チップの二階堂紅丸並の連打力は楽しいんだけど、相手の体力ゲージは手数と反比例して恐ろしいほど減っていない。反比例は嘘だろと思うかもだけど、HS1発当てた減りより屈K5発HSとかすると多分HS1発より減ってない。コンボ補正がかかりまくるからね。

手数が多くてボタンを押している回数がやたら多いのに試合が終わらないので骨折り損のくたびれ儲けな感じがして、チップをやめてディジーにした。

ディジーはGGXのラスボスで隠しコマンドで使えたキャラ。GGXXからは普通に使える。しかし、隠しキャラのときは強すぎるように思えたけど、自分で使うとそれほど。

ディジーも竜巻Pと波動Kなど入れ歯みたいな飛び道具と松明みたいな飛び道具を交互に打つと画面上に2発の弾を出せて、さながら初代ヴァンパイアでデミトリモリガンが空中飛び道具と地上飛び道具を交互に2発打っていたような感覚である。

そのうち入れ歯の方は相手の打撃で壊せるので、コンピュータは的確に壊してくる。的確に壊されるとその割にスキが大きく近距離の小回りが効かないのでキツい。

初めてから5回コンティニューでクリアした。ジャンプHSしゃがみHS氷柱シャキーンだけで結構なダメージを取れる。ジョニーやエディよりは使いやすく感じるけど、それは発展性に欠けるのと表裏一体な感じもする。

 

使いやすいと言えばソルと対偶になっているカイをまだクリアしてないな。なんかクセのないキャラではあるけどソルほどの爆発力もなく。俺には使いにくい。

 

格闘ゲームで文句を言いたいときは、せめてその取組の両キャラをその対戦において使いこなせないといけないとは常々思っているけど、GGXの頃は既に自分で攻略するのが面倒で情報をもらって安易にそれを飲み込んでいた。学校じゃねえんだゲーセンは。学校だと役に立つかどうかはさておき、先生が教科書に沿ってテストに出ることを教えてくれるけど、ゲーセンで人から教わろうなどと安易なことを考えたら、犯罪者のような悪人に嘘を吹き込まれることなど日常茶飯事。店員だろうと客だろうと、100円玉を取り上げるために自分に有利に誘導する。

今となってみるとGGXではジョニーとミリアが強キャラとウィキに載っているが、俺は実はそれとてまだ完全には信用していない。GGXでアクセルに限界を感じていた俺が誰が強いかなとぼやくと「ソル」という情報が入ってきて、その時にも肯定否定様々の意見が出た。今思うと下馬評では弱いとされていて、しかし知らないのを良いことに聞いたものに「強い」と吹き込んで負かす算段だろうが、ストIIリュウのやりこみとヴォルカニックヴァイパーロマキャンコンボがバシッとハマって充分勝てた。

 

まあ、両々相まってGGXXACは結構バランスは良いらしいが、あの頃に飛び交った様々な説の内から正しいものはどれか、それはひいては信用できる人物は誰かということにもつながり、また表面的に嘘というか反対を教えようとするものは裏を返せば彼らなりに正しいと思う基準があって嘘はつくけど彼らが信じていることには一定の正しさがあるのかとも思う。

最後には「ミヤーンが使うと強い」が本当になることをどこかで喜んでいたが、俺じゃなくても強いキャラを俺がちゃんとわきまえたほうがやり込みの差で行くと楽になるということも考えるようになった。

 不思議なもので哲学をすると本当のことなんて何もわからなくなるのに、生活して振り返って「だまされた」と思うということはその裏が本当であるということである。

結局の所、得をするとか楽をするのが本当で、人のために頑張るとか辛い目にあっても神の試練だと思うとかいうのはある種のだましかもしれない。

 

ただ、だまされたと思う前はそれでも人を信じる、神や仏の教えは疑うものの理解すれば真理に導かれるというようなことを考えていた俺にとって、全てはたったの「働かずに旨いものを食う」程度のためのトリックだったのかという理解になった時に茫然自失になった。過去の自分の考えは全て奴隷道徳に基づいた下級の思考だったのかと。

 

昨日テレビを見ていたら、カトパンEXILEの交際が報じられていてお互いにジムで体を鍛えているのだとか。スタイルの良さは運動による負荷と表裏一体、苦労している人間は顔つきにも精悍さが宿る。セクシーだ。

だが同じ日にロリータファッションに身を包む女の子がお父さんに服をプレゼントする番組もやっていて、おしゃれというのは結局の所ミームなのだなと思うようになった。

 

お金を持っているとふとおしゃれに使いたいと思うこともあって、それ自体は悪いことではないけれど、体の贅肉を落とす運動とどちらが自分の望む結果に近いか。

願望を形にしていくということを考えると、俺は格闘ゲームで大会で多くの人に讃えられたいと同時に、生意気な相手を負かして屈服させたいという願いも持っている。最初は両方ともまだない状態で映っている画面と鳴っている音の虜であったが、就職してカネを持ってみてもゲーセンで子供に100円取られて悔しいと思ったところで屈折した。

それまでに負かしてきた多くの人の態度が自分を尊大に思わせるに十分であったが、それはそれでも自分が100円払う側であり、人からお金をもらって言いなりに働く立場に屈してしまうと勝ってきたことの意味を捨てることになるという自己矛盾があるのだが、持っているカネを払って勝っている以上はカネの切れ目にやがては行き着くわけで、自分で働いてもらったお金で子供から小遣いをだまし取るためのゲームをする循環機関に自らハマることでゲーセンにラクをさせすぎていたのだろうな。

家でPS2で遊んでゲーセンには行かず、何年ぶりかに久々除くと新装開店だった店が廃れて薄暗く感じるようになり、裕福なときは明るい新しい店で賑やかなのを楽しそうだと思ったものだが、自分が貧しいという主観を持つと店が廃っているのをザマアミロと思うから、人の主観なんてその程度のものだ。

嫌いな人のいる会社で働いても、自分の働きが嫌いな相手の得になるのが許せない。ゲーセンひとつ取ってみても、嫌いな人が遊んでいる店にお金を入れてその結果店が繁盛してもどこか損に思える。かといって今自分にこの人になら得をさせてあげたいと思うような相手がいるわけでもない。ただし、五分五分なら許せるという人間はいくらでもいる。ゲーセンでゲームをすると五分五分でいいと思っている相手でもお互いに店にカネを払うわけでマイナスサムだし、家でゲームをすると交通費をどちら持ちにするかクルマやガソリンスタンドに鉄道会社に利益が渡るし、ネットゲームならNTTに利益が行く。家で遊べばタダかというと月に数百円だろうけど電気代はかかる。ゲーム機の初期投資だってゲーセンでの損との差額で割安でも得というところまではならない。

それでも楽しいと思えるから遊ぶわけだし、買ったわけだし、作ってくれた人に感謝の意を示すには大事に持っておくだけで個人的には十分で、続編を買うとか最新機種に新調するというのは熱心なファンの人に任せて、自分は細々とでも遊べれば良い。

 

そういう意味で、互いに楽しめる関係というのはいかなるものか。コレが最近の悩み。少なくとも読んでくれる人がいるならば俺のライフワークはブログで良いと思っている。過去の人間関係に未練はあるが、払い合う関係である以上は維持が難しい。