今日のGGXXAC+(我流のエディをはじめました)

若い頃は世間を知らないだけで自惚れがあったんですけど、旅に出て見聞を広めて世の中には上には上がいることを知り、謙虚さを覚えて丁寧な練習を積むようになり、独りよがりな「最強」ではなく対戦ゲームのコミュの中での順位ゲームに参加する。

それって本当に幸福かな?という疑問を持ったんですよね。俺は俺のやりたいようにやって、自分の部屋で自分の世界を作って遊ぶ。それがスポーツよりコンピュータゲームの利点じゃないんかなと。

まあ、来るべき時が来たら出るとこ出てけじめをつけるというか、有名プレイヤーになりたいとか地域から応援されたいと思うなら、どこかで人を負かせて見せるとか近所付き合いから始めて見るとか、あるのかもだけど、エディのコンピュータ戦でもなかなかにやりごたえはあって。

Wikiでは最強キャラとされてるけど、エディって使いにくくてクリアは初心者からステップアップしていくことを考えたらいちばん難しい部類のキャラな気はするな。

強いキャラだったのでガトリングコンボに制約が結構多くて、小回りがきかない。コンボも難しい。

けど、ちょっと待てと。Wikiのエディの基本攻略から入ったら、屈P足払いとかでとかくダウンを取ってエディ召喚から連携に持ち込もうとするんだけど、自分がもしポチョムキン使いだと考えたら、それよかずっと当てやすいジャンプHSとかしゃがみHSに立ちS>HSのガトリングとか、もっと減る技を振り回す戦い方から入るほうが強くねぇかと。

まあ、初動のコンボが安くてもエディの連携に持ち込めば一方的な二択からダメージを取れるというのは分かるけど、ジャンプHSで飛び込んでみて、飛ばれたら空中投げに化けて変な当たり方したらジャンプHS>ジャンプHS>空中Dと入って結構減るので、倒して2択の倒しが雀の涙なのを考えると、ガード期待値2分の1でジャンプHSからの地上HSと比べてコンボで2倍取らないとダウンして2択のほうが威力で負ける。

自慢やステータスとして他人に強いと示すのでなく、攻略の仕方が他人のなかでも有名な人や強いとされている人と違っても、自分も他のゲームで優勝したことあるわけだし、自信としての強さを取り戻さないとモチベーションを維持できないなと思うの。

「自分は引退して弱くなって趣味でやってて上手い人ってのは世界の何処かよそで決まっていて攻略というのはその人のマネで同じ道を行って出来ないことがあればどうあがいても二番手三番手以下なんだ」みたいな負け犬根性がいつの間にか出来てんの。優勝したのに嘘つき呼ばわりされて信じてもらえないし、それをゲームの勝ちで示したくても海外の大会より国内でひとたび注目されっると自分自身が多くのプレイヤーからビデオとかで研究されて思うように勝てなくなる。望んだだけの賞金を手に入れて極楽引退生活とも行かないくらいの半端な賞金。なんのために。

そこで、俺は今いちど自分の殻とか繭のようなものにこもって自己流で独善的にギルティギアの世界を作っていかなくちゃいけない。そしてさっきのエディの戦いから、それを実践し始めてる。

たぶん、有名になって付き合える有名人どうしの付き合いみたいのより、アビオンに集まる「いつもの顔ぶれ」の中で自分がいちばん勝つ役で時折に店に一見さんのチャレンジャーが来て、誰が相手するか空気感で決まっていって、みんなが勝てないと俺の番になって、そこで俺がもし負けたら「普段どこで」とか「名のある方ですか」とか話すみたいな、そういうサイクルで少しずつ増えたプレイヤーのつながりコミュニティが大きくなって世界大会とかの催しに人が集まってるんだと思う。関西地区の一角を担うという意識の高さと、独善はどこか矛盾があるようで、だけど俺の世界で俺がいちばん強いという状態からそれを示す領地を三国志信長の野望みたいにちょっとずつ増やす。

サボってた間に先に行った人の後ろにできた道をついていくより、堂々巡りのジャンケンだってなら、先回りばかり考えなくても自分の番になることだってあるだろう。ひょっとすると甘いかもしれない。それでも、参加する以上は自分の軸を持っていないとすり合わせるために持ち寄ることさえ出来ないわけで。