結局年寄りが教えようとするのって20年史なんだよね

どんな人間も時間は等しく与えられているわけだから、自分の人生で人の人生を羨んだり蔑んだりしている間は自分の視点から他人の人生を観察しているわけで。

学校で習う歴史は2000年とか、地質や生物だと数百万年、天文だと何億年に思いを馳せる。確かにそのスケールで見たら間違いのないこともあるだろう。月の周期を予測したり、食べるための獲物を飼いならして豚や鶏にしたり、ダムを作って水を貯めたり、歴史はどういう時にこう使うと上手くは言えないけど、ちょっとした油断を引き締めてくれるかも知れない。

だけど学校を出て40歳位まで来ると、ケータイがすごくなってたり、テレビが大画面薄型に成ったり、クルマが自動運転になったり、もらえる年金額の予測が少なくなったり、まあそれ以外にも変化はあるけど、その変化と照らし合わせてもあまり代わり映えがない側面にも気付くわけで、自分の歳で若い人の立場になったらこうするのにな、というよりよい選択を教えてやりたくなったりするものなんだよね。

若い先生のほうが流行り廃りの問題で話が通じやすくて話しやすいかもだけど、そういう意味では最新デジタルにちょっと疎い年寄りの先生の話も経験値の差から役に立つときもあるかも知れない。

俺の生活を人が羨むか蔑むかは分からないけど、20代30代は高給取りで会社社長みたいな金持ち像が成功だった。けど、失敗したし病気になったし、全て畳んで田舎町に帰ってくると昔通った駄菓子屋ゲーセンのおばちゃんがおばあちゃんになって、店で編み物をしながら息子はオッサンになってDSで遊んでんの。

ほとんど毎日働くというよりゆっくり待っているだけの暮らしに思える。どうやったらあんなに楽そうな生活が出来るのか逆に不思議になって、興味が湧いた。しかし店のオバチャンは俺が会社を畳んだ後もプログラマーとして仕事をもらってすぐにカネをとってくるのを知って、なんでパソコンしているだけでお金になるのか不思議に思ったようだ。

俺の中でそのふたつが合体した。駄菓子屋のおばあちゃんは引退して今は家でひとり、息子はDSをスイッチに変えて相変わらず店で待っている。俺はというとまだどこかコセコセしていて「待つ」という表現には程遠いし、頭の中は休まらないけど、地下鉄やタクシーや自転車で大阪市内をグルグル回らされるような暮らしから、自分の部屋でテレビを見ながらパソコンに向かっている。

そうなる前に読んだ1冊の古典がある。株式投資などのビジネス本を読んでいた俺が手に取るように書店の人が同じ棚に並べてくれたんだと思っている。めちゃくちゃつまらない本で、金持ちになる人というのは大きな事業をする人だと思っているかもだが、精米所で捨てられるコメを竹箒で集めて選別して、ゴミの中から集めたコメで俵をひとつこしらえる。毎日毎日同じ仕事だが、贅沢にも色欲にも負けず、やがて立派な構えの家を建てて周囲からどうやってあんな立派な家を建てたのかと驚かれたという話だ。

いまどき、その例えにハマる職場は果たしてあるだろうかとも疑うべきだが、心構えはその時に出来たことがどこか今の行動指針にも通じている。