こと教育においては左寄りの先生のほうが信用できる

学歴社会は昔ほどではなく、様々な人間が活躍する社会になっては来ているが、自分の武器は学力にあると思っている時に企業が学力のパラメータをはかるために最初に見るステータスのひとつが学歴であることは相違ない。

こと、学生時代には受験という競争があるので、己を高めて競争に勝つパターンと相手を貶めて競争に勝とうとするパターンがあるだろう。相対的に相手より上であればそれで良いとするなら、両方やるやつだっているかもだ。

そういう意味で、偏見かもだが下層社会ほど足の引っ張り合いである。自分たちは身分が低いから労働を強いられている、だから身分の高い人間がいなければ労働を強いられることはない、そうなると身分の高い人間を高い地位から引きずり降ろせば自分たちのおさめる年貢が減って仕事が楽になるだろう。こう考えるわけだ。

しかし、そう思っている人も工場までかまぼこを作りに行くのにクルマに乗っていたりする。ある人はこう考える。仕事は機械を使えば楽になる。知識や教養を身につけると豊かになる。みんなが勉強して便利な機械が増えて知識や教養を身につけたらみんなが豊かになる。

ふたつの考え方にはどこかに矛盾や対立があるようにも思えるが、歩み寄る余地はある。そして、哲学的には絶対的に正しいことなど無いとしても、覚えておいたほうが良いと彼自身が信じている知識を伝えてくれる先生というのは有り難いものなのである。

そして今自分はどうしているかというと、ブログに自分の知見を乗っけるべきか隠すべきか悩んでいる。人に伝える前に、まずどこかから伝えようとして俺に届いているものの積読して読めていない本やゲームを消化することも必要かなと。

どうして積んでるかと言うと、今すぐに役に立つ情報は恐らくないだろうと判断してきたからだが、ふと時間の浪費とけなされるテレビゲームが自分の退屈を豊かな時間として、自分にはない教養のヒントになるものが散りばめられた導きではないかと思った。