人間の報酬系は理性によって組み変わる(貯金通帳を見てニヤニヤする男)

何から書き始めるべきか悩ましいが、ゲームの面白さは脳科学とリンクしていた。

ドラクエで「たたかう」を押すとヒュルルと剣を振ってズバシュと当たる効果音。

それにレベルが上がる時パラパラッパパッパーとラッパのような金管楽器の三和音でお祝いの音楽が流れる。これらは西洋で芸術が発展した時に人は何に喜ぶかということが並行して研究され、「あ、この音聞いたら嬉しいんや」となったものが音楽体系としてまとめられてテレビや舞台などでしょうかされた後にファミコンになってお茶の間に運ばれてきた。それに大人はすぐ飽きたが、まだ楽しいものをたくさん知らない子供たちが虜になって繰り返した。俺もそのひとりだが他にもそういう奴がいて、友だちになった。

その友達とケンカになってしまう元がストリートファイターIIなのだが、これもボタンを押すだけで画面の中の筋骨隆々の格闘家がシュッと正拳突きを出してパァーンと当たるわけだ。この当たった時に黄色いゲージがニュルッと赤くなってダメージですよと分かり、画面が瞬間止まる映像と音声の効果が面白く、それはひとつ前の作品であるファイナルファイトで確立されたというのが歴史的には正しいが、俺はひとつ遅れてストリートファイターIIでその虜になった。

それに共感するものは多く、シリーズと押して好き、キャラが好き、それをゲームのルールとして競い合うのが好きな人々のコミュニティに発展するのだが、それが成熟して自分の友だちだけでできていたグループから人の集まりだからと知らないところから参加してくる人が増えた時に俺はそれが自分の臨む世界ではないとひとたび離れた。

そして何をしていたかというとコンピュータ将棋や麻雀などの広く遊ばれているゲームでのゲーム研究に混ざりだした。最初は何も知らないから教えてもらって知識が広がることが面白かったが、ゲームをやめたのと同じく公開されている知識はファンの共有物であり、それらをくまなく学ぶことの辛抱強さやその中で新しいものに気付ける注意深さはそれのどこが新しいか分かるほど類型に飽きて馴染んでいる観察眼の裏返しで、それってつまり楽しんでいるというよりマンネリで飽きているのではないかと離れた。

そこで自分のしていたストリートファイターIIテーブルゲームの研究から自分なりに組み立てた数理モデルで再挑戦しだしたのだが、これが普通に遊んでパンチがシュッと出てパシンと当たるのが気持ちいでなく、ずっと待って相手の攻撃をガードしておいたほうが良いとか、遠方で飛んでくる波動拳を速度を見極めて垂直ジャンプで避ける訓練をして、波動拳をガードした時体力をヒットの4分の1削るので4回避けようとして1回くらいならガードのほうがマシであるという判断から、避けを極める前にガードになったの。それで、分かったことはボタンを押しているのが自分と相手のどちらかという感情移入のシンクロの問題ではなく、立ち見のギャラリーも遊んでいる両者も技がパシンと当たるから面白いのであって、負けるなら食らってマゾく、勝つなら弱いやつを捕まえてボコボコにしないと普通は面白くない。

ただ、ゲームとして勝ちたいしそのために研究したんだという思いから、波動拳を出して相手がガードしてカツっと鳴って数ドット減る、そのちょっとの減りがめくり強キックアッパー昇龍拳のコンボ並みに嬉しいと思えなければ、それ以上のプロ級のリングには上がれない。

そういう風に原始的な心に直接響く快感を中世に研究した人はいて、それはおおむね子供やそれに類する未体験の被験者には正しいけど、貯金通帳の数字を見てニヤニヤする人も頭の中でそこから何を想起しているかまでは分からなくとも、肉を食べて美味しいとかエッチして気持ちいとかじゃなく、もう数字だけで喜んじゃう。

そこまで報酬系が変化した人間がその報酬を巡って駆け引きして戦っているのだ。

そうなった時に「しているだけで楽しい」と思えたストリートファイターIIをどうして面白いと思えなくなったのかがハッキリ分かって電子ピアノになったんだよね。