口先だけのママ「アホッ!ペッと吐け!」

ツイッターで「愛着障害」という言葉がトレンド入りしている。

子供の頃に親から愛されていたかというフロイト的な深層心理のおさらいではあるが、人の記憶というのはどう入っているのであれ、一度に引き出すのは困難である。辛いと、連鎖して辛い時を思い出すし、いま幸福を感じているのと幸福を感じたことを思い出しているということの境目をハッキリさせるのはむずかしい。

俺は子供の頃に両親から愛されていたとは思うのだが、どこか人生の途中で愛されていないように思い始めたことがある。それは実家を離れて自立してから引越し先の周囲の人と上手くやれなかったことが引き金になった。

子供の頃の俺は両親祖父母の4人で誰を子供が好いているかの4人での取り合いであった。パパのしつけ、ママのしつけ、ばあちゃんのウソ、爺ちゃんの甘やかし。それぞれ自分が困った時には別の人が取っ替え引っ替えで面倒を見てくれたものだから、ずいぶんとご都合な性格に育っていた。

いちばん甘やかしてくれた爺さんは最初に他界したし、婆さんはボケて施設と病院で過ごし帰省して看取りに言った時には迫った死に何の感情もわかなかった。ひとり暮らしの俺は病気で倒れて別居中の父母のどちらに付くかお医者さんに尋ねられ、どちらも嫌ですと自室のマンションに戻されて貯金を崩し生活していたが、やがて銀行預金が減り家賃の滞納の知らせがポストに溜まり絶体絶命になる前にルンペン状態で銀行から自動引落されないように預金を全てポケットに引き出し、最後に辿り着いたのは親父のいる方の家だった。

親父と弟と俺の3人でしばらく暮らし、入院して、退院して、弟が上京して、先に結婚した姉が親父の土地を分けてもらって近所に戻り、別居の母親とも数回は会ったが、どこかで自分の中から母親を取り除こうとしてきた。姉についてもそうである。

先日、弁当屋で買ってきたトンカツの肉が固かったときに辛い時にたびたび思い出す子供時代のワンシーンがよぎり、まとわりついてぶり返し全身に自己嫌悪が走る。

まだ離乳食を食っている頃、食卓を挟んで短い辺同士母親と俺は向い合せである。隣には婆さんがいる。「お出汁も取らんと肉なんかこうてきて!こんなん犬の餌や!ほらにゃんにゃんにゃん」噛んだ肉を口から出して俺の口元へ持ってくる。「ほら、食べて」口に噛み終わった味のない肉が入れられる「ごっくんし!」不味くて真っ青に引きつった状態で肉を飲み込む。その瞬間!

向かいの席で母親が泣いて叫んだ

「アホッ!ペッと吐け!」

この瞬間、俺は自分の名前が「アホ」だと思い、母親も父親も自分を守ってはくれず、バイキンだらけの婆さんの口から移された肉を飲み込んだことで全身に不快感がはしりはじめたようだ。

フロイトを読んでもユングをかじっても、この自分の幼少期の体験を消すことは出来ず自殺しそうになったり悩んだりしたが、ゲームで掘り下げた脳科学VRの角度と愛着障害の特徴から、今日やっとどうすればいいか分かり始めた。

母を信じるのである。泣いて叫んだ母の記憶は幻で、本当は隣の婆さんに飛びかかってやっつけて口から肉を取り出してくれたという新しいイメージを作って信じ込むのである。俺はどこかで母と決別しなくてはならないという思いが母に頼らず自分で行動しなくてはならないのに婆さんの噛んだ肉を誤って飲み込んでしまったという自己否定感ばかり強かったが、物心が付くか付かないかの判断は通常周りの人間が守ってくれないと死んでしまうものである。

あの時のことは、父や母が婆さんのいじめから守ってくれなかったと責任転嫁して良いのだ。それで少し落ち着きを取り戻した。人に話してどうなるものかはわからないが、俺はそうやって平静を保っている。