今日のカプエス2(自分の内面を探るために臨む)

A豪鬼ロレント・ベガでGP2700台。当面3000超えが目標値となる。

ベスト10がGP3000超えで埋まっている俺の過去って一体なに?

長らく、自分の格闘ゲームへの執着は肉体的な弱さの裏返しだった。

また、シミュレーションゲーム系でなくアクション系で勝負をするのはじっくり考える系は自分が勝って当たり前で既にそれは仲間内で承認されているみたいな勘違いがあって、ゲーセンで遠慮なくできる便利さみたいなものもそれを手伝った。

だが、ドラクエとFFとファイアーエムブレムウィザードリィ大戦略は強くても大戦略は同級生の米川に一歩譲ったし、ウィザードリィは西野のほうがしつこかった。あと吉井がプレステで遊んでいるペルソナというゲームが女神転生とどう違うか吉井の説明だけでは分からず自分でやってみないとなと思っていた。

そしてMMORPG系のネットゲームをしてから、もうしつこいとか強いとかの次元を超えて生活というか、人の人体としての営み以外全部ゲームに捧げるみたいな人とやりあって自分の限界を見た。

ある意味で、というかどんな意味でもデジタルは人間の能力のレベルキャップになる。肉体的に勝てない相手にゲームで勝てるというのは相手より頭がいいみたいに若い頃は思っていたが、クイズゲームで勝っているわけでなし、ソニックブラストマンで勝っているわけでなし、ストリートファイター系で勝つというのはそこにレバーボタン入力以外の入力のレベルキャップつまり頭打ち状態に公平やフェアという感覚を見出し、一見単純だが取り付けられた様々の複雑さを理解して、その世界に自分の神経を合わせることに於いて長けていた。まあ、言う人はピーキーと呼ぶ。とんがってるわけだ。

将棋に無限を感じる人がいるように俺もどこか格闘ゲームに無限を感じていた。それは誤りで、格闘ゲームの攻防も有限情報ゲームである。そして繊細に思える入力も楽器の演奏とかと比べたら、60分の1秒というひとコマワンフレームで頭打ちなのだ。

さらに言うと、カプエス2のオリコンはその頭打ちになっている入力ですら、自分はキャップされているゲーム内でのエベレストの頂点に達していないことを痛感させられる。平常時の小攻撃連打などは1フレームのスキもなく繋げられても、オリコン中の成約がゆるくなった行動の中で理想コンボを常に叩き込めるかと言うと、ミスする。

ミスというのは出来ることを失敗した時に使うので正確でない。出来ないのだ。

それはコンプレックスという心の複雑な劣等感で描写されるべきでなく「出来ない」で良い。ゲームの中なら何でも使いこなせると思っていても、出来ないことがある。

さすがに41際にもなると落ち着いてコンプレックスに鈍感になった。以前の俺は現実社会で受けたダメージのやり場のなさをゲームの練習に打ち込むことで駆動していたが、アレは負けたからゲームは勝たないと、みたいなアレを全部向き合って片付けて、それでもなお引っかかる自分のモヤモヤは何だと言うと、理想のオリコンが出来ないことだ。

今日はその中で「さあ、あとは気が済むまでナンボ練習したっていいんやで」という自分の中でやりたいけど完成していない3キャラであるA豪鬼ロレント・ベガをサブキャラではなくメインキャラにしようと。

まあ、エベレストまでヘリコプターで登れても自分の体で登山靴の力を借りて登る人がいるように、ゲームも趣味である。プログラマーになろうと株主になろうと、プログラムを組み替えて勝つわけでなく株主議決権で優勝者を決めるのでなく、敢えてレベルキャップを受け入れてその中での高みを目指す。

今日はいつも見る星座占いで山羊座の運勢は最強なのだが、毎日テレビの「ちちんぷいぷい」獅子舞ドキュメンタリー本番生放送の最後の披露の部分だけジャストで見逃すし、カプエス2を終えてテレビに戻すとプロ野球ドラフト会議の一番いいところを見逃した。それを差し引いても、カプエス2との関係は良好である。


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