サムライ・ゴロー

数学の問題を読んでいると、先に答えが頭に浮かぶことがある。

中学で数学を習い始めた時に2次方程式の解を暗算してカンニングの疑いをかけられた。そして勉強もナメていたのであまりしなかった。それがだんだん通じなくなり、高校の頃は証明題など問題用紙や解答用紙の裏側に数式を書きまくり、数学の森田先生はそれらを全て丁寧に採点してくれた。計算間違いなどで三角をもらうことが多くなり、優等生はもっと簡潔に書くので担任で古文の先生である阪本先生からは「あんなに書いて三角か、何書いてんねんボンクラ」とよくバカにされた。腹が立ったが言えなかった。

昨日も微積の問題で答えが先にわかり、このさきに分かる感覚はなんだろうと思いながら、解答例を読むと考え方の筋道が若干違い、シグマの公式をすっとばして答えに辿り着いている。だが、絵的に分かるのだ。

そうして、まる1日何故だろと考えて出た答えが小学校の頃から遊んでいるゲームのアルゴリズムだ。特にスーファミF-ZEROで最初は加速度が高く最高速が低いゴールデンフォックスを好んでいたが、4機体の中で最高タイムが出るのは加速度が低く最高速の高いファイヤースティングレイである。機体を選択する画面でグラフが出ている。

もちろん、どの機体が最高タイムになるかはコースにより、長い直線があると最高速でコーナーが多いと加速になるというレースゲームの当然なのであるが、クルマが加速する過程のクラッチ交換と速度の関係とかが数列の極限計算と非常に似ているものがある。

そして、数学の意味もまた問題と解答が1対1の関係になることが正解ではなく、何故それが正解であるか全て証明するに至る筆記が出来ることが履修要件なのだ。倫理で習うデカルトであるが、デカルト的思想は近代思想に先立つもので、論証の発展した形が数学の基礎解析で学ぶ証明題の形になるのである。

つまり、目的地である答えが先にわかる直感力は誰しも持っている可能性があるが、数学が真理であるゆえんはそれを誰が否定しても間違いのないものであると合意するに至るプロセスにあり、まだまだ俺の思考経路には補完すべき飛躍が混ざっている。

昨日はパソコン机を離れてから夕食までの間をスパロボで過ごしたが、スパロボの面白さはユニットの位置を座標のマスでロボットの損壊度を4桁程度の数値で、命中率回避率を100分率で徹底的に数値化して視覚化しているところにもある。まあ楽しいと感じる大半はアニメと音楽にあるのだろうがな。

そういうものは見せれば分かるが、アクションゲームなどは直感的に遊べるように数値が隠匿されているものが多く、それらを解析的に理解しながら、言葉で他者に説明しても合意に至るものはほとんどいないのである。

これは普通の人にはわからないとかでなく、同業者でも少なく、仕事を始める時に俺が最初にすることはメンバーの理解度チェックになる。それさえ分かれば自分で全部出来ると思っているので、反対に納期が短く手分けの必要性が出てくると誰に何を頼めばどれくらい進むかということを推し量るのが、企画のたびに集合する即席部隊では極めて難しい。

数字もグラフも写真も出てこない物書きに憧れたのはひとえに理系力が足りないからかもしれないな。もっとこう、視覚に訴えて合意を得られる形で発信するために手間をかける必要があるかもしれない。