枠組みが人の思考を流動的なものから推進力に変える

先日欲しい雑誌を探しに書店に行き、目当ての代わりに買った新書を読んだ。

思考法に関する本で、若い頃は背伸びしてよく読んだ難しい本に類する。

目的を決め、データを集め、思考して、アウトプットをする。

20代からバリバリ働いていた時は、既に席が決まった企業内に膨大なデータが有った。個人ではそうそう集められない量だ。そして仕事はその処理だけでよかった。

しかし、会社人間をやめた俺は国家の枠組みの中で税金に類する収入源で生きている。

税金という財源は根深く、そうそう簡単に食いっぱぐれにならないので、最初の2年は減った収入に比例して生活レベルを下げて暮らしたが、近頃ではマンガを読んだりゲームで遊んだりを全くためらわない。そうしていても、多分将来も大丈夫だと思うからだ。

その中で、この1冊のビジネス本はバリバリ働いている頃の思考法を思い出させる。

イデア出しには枠組みがいるという本の一節が理解しづらく、それを理解した時に国家の一員としてあらためて考えるべきことが見えてきた。

また、過去に読んだ本の中で出てきて、何気ない言葉だと思っていた言葉の別の側面での意味を知り、それを知った上で記憶の一節の意味を刷新して、より良くなった。

このブログは小学生でも分かるくらいの単語を選んで書くことが多い。日本の義務教育は小中学校までであり、高校生大学生は図書館で学んだほうがよく、何故かパソコンやスマートフォンを持っていて検索したらこのブログにヒットしてしまったという人が読むに当たり、漢字の意味や単語の意味が分からないでは話が進まないだろうと考えているからだ。

日本国民は自由であるが、あまりに自由奔放な思考法、発想は危険である。何故なら、それが他人に自由を侵害する犯罪に抵触する可能性があるからだ。六法全書を全て暗記するまで成人になれないわけではない。20歳で誰もが成人であり、警察もよほど常軌を逸した背徳行為でない限り、初犯には執行猶予が付く。知らなかったで済まされる。

それはさておき、もとに話を戻すと自由な発想である。我々は、小中学校で学ぶ言葉をもとに思考をすることがほとんどであろう。高校や大学で学んだ言葉でものを考えている人は少し振り返って用心するべきかも知れない。その言葉が通じるのは、あなたの周囲の人もある程度の学力があり、認識に共通の前提がいくつも暗に飲み込まれているからだ。だが、それで良い。

流動的で自由な思考というのは前述したようにともすると犯罪になる。個人の自由を侵害する行為はもちろん分かるが、たとえば車のメーカーで働いていて新車の設計をしているとしよう。それは技術者としての職分をまっとうする行為ではあるが、従業員という枠組みの中で企業に貢献することで給料をもらって、家族がその給料を生活費に当てることで生活が回っていくという社会の枠組みに技術者が嵌っているからだ。

このとき、技術者は空を飛ぶ車を考えたり、会社をやめて仕事を放棄したり、出来た車の設計図を他社に売り込んだりと考えることも出来るだろう。だが、そうはしない。そもそも、新車設計を任されているのは日本という国家の中で諸外国と経済競争の中で外貨を獲得して国益とするために企業が作られ、教育を受けて就職活動をして従業員となり、6社ほどあるメーカー同士で売上を競い合い、乗用車という商品の枠組みの中で全工程の一部を受け持っているのである。

ここで、あえて枠組みをはずさないで考えて仕事をすることが企業の推進力になっている。ひきこもりの俺に自由があるように見えるかどうかは他人次第だが、個室でテレビをつけっぱなし、パソコン机でこのくだらないブログを書き、本や漫画をテレビつけっぱなしのまま読み、時にDSで遊び、たまにTV番組を中断してプレステで遊ぶ。

これでも20代から30代には企業の枠組みに嵌り、給料を得るためにプログラマーとして働き、お金を何に使うかというと、たくさん貯めて日々の通勤から開放されることが目的だったと言って良い。プログラマーという職を選んだのも、昨今ではAIが人の仕事を奪うとマイナスに捉えられがちだが、自動で出来る物を自動化して何が悪い、むしろ良い、人の仕事を奪ってコンピュータにさせることで俺は給料をもらってきたのだ。

だが、仕事そのものは自動化されても、社会の枠組みが就職して給料をもらって日用品を買って暮らすという枠組みから抜け出せないために多くの社畜がタイムカードを押して会社で寝て給料を待つという技術と社会構造の過渡期に入っている。

そういうことを解消するのは政治家だと思われているかもだが、その政治思想に先立つ思想家としての仕事はまだ残っているだろうということを読書で確認した。考えて書いている人の頭が古いなぁと。

同時に、自動になった仕事にも権益が発生するものがあり、それを授受するものが思想的に俺個人と共益的に振る舞うか、敵に回るか、また自動にならない仕事に従事する人が理解できない立ち振舞の俺に対して敵愾心を抱かないか、などが近ごろの悩みだ。