普段の飲み物をカフェオレからミルクティーに替えてみた

替えてみてから1週間ほど経つのであるが、まあリラックスできる。

珈琲と紅茶では薬効が違うというのを体感している。

俺は子供の頃からミルクティーが好きだったが、仕事づきあいで喫茶店に入ってみんなコーヒーなのにひとり紅茶を飲むと笑われた、みたいなのと森博嗣の小説で主人公がコーヒーをブラックで飲むということから、なんかコーヒーのほうが良いらしいぞとコーヒー派になって、おまけに20代で自殺未遂をして、30代でまた荒れた時期に夜の街で散財して使い切ってから死のうと思ったらレースクイーン風のキャンギャルのお姉さんが寄ってきて「是非試してくださいっ!」とラークをひと箱400円ほどだったので、タバコは嫌いだが死ぬ前に吸ってみる価値はあると試してから、なんとなくハマった。

そうしてカフェインとニコチン中毒に精神薬まで飲んでどうにか正常の範囲にとどまっていたのだが、ふとコンビニでホットドリンクのミルクティを手に取り、それを飲んでいると昔の記憶が蘇り、コーヒーって思えば人に合わせて飲み始めたのだったなと。

紅茶を飲んでゲームの刺激も求めなくなり、今日はコンピュータオセロに挑戦して黒先手番を取り36対28で勝ってしまった。どれくらい強いコンピュータオセロなのか、黒白ハンデはどれくらいなのかそこまで知ろうとしていない。ただ、自分でゲームをプログラムして遊ぶと、どこか重量挙げのウェイトを上げるがごとく、自分の持てる限界まで自分で理解して調整して、敵わなくなるポイントを見つけてそこを重点的にトレーニングする、みたいな修行になる。

そういうこと全般に対して、近頃ではもう充分に満足している。鍛えれば伸びるかもだが、楽しいと思うその楽しみが勝って味が良いとか自慢になって人間関係でマウントを取れるとか、そういうのでなく求道的みたいのが歳との相談になって、色々とある退屈しのぎの中でひとつのことにしか打ち込まないというのが退屈に思える。

学生の時は勉強できるのは今のうちだけでやらないと後で後悔するぞとか、将棋は子供からやっとかないとダメとか、ピアノも子供からやっとかないと大成しないとか、そういう話も過去においては部分的にそうであったとしても、労苦を逃れて打ち込める環境が出来るのなら、それは真理ではないと言いたい。