同じ栄誉を分け合うことは出来ないものか

犯罪者に多いのが「同じ痛みを負わせようとする人」なんだが、人が同じ体験をすると同じような思考ロジックを持つのであれば、立派な人の後を継がせたいみたいな思いは勉強とか職人仕事にも言える話だろう。

だが、往々にして栄誉に預かれる人というのは選択式でその座は奪い合いであり、大工仕事でも皆が棟梁とか一級建築士になったとしても基礎工事や配管の仕事は誰かがせねばならないわけで、その持ち回りになるのであれば勉強や修行をサボって簡単なところを持てば良いと考える人が出てくるのも合理性がある。

頑張らないことに対する合理性を説きつつも、過去にどうして頑張ったかと言うとそれはもう王様状態はとてもこころよいから、落ちぶれてもなおそれを目指す気持ちがあるからだろう。犯罪者が更生を考えるよりも落ちぶれた時に平民以上の階級のものを罠にはめて同じ痛みを背負わせようとするならば、反対に救済して罪を赦し楽な思いを経験させることで上流階級との共感を生むことが出来ないかと考えられ、それが実現したのが福祉というもんだろう。

それを所得とかで単純比較してしまうと、病気になって保険をもらったほうが真面目に働くより楽に金をもらえる、みたいな発想を生む。病気と戦って暮らすということが健康な人が仕事に励むのとどちらが良いかということを比較するのは難しい。

まあ、朝からブログを書くなんてのはロクなもんじゃない。日記なら晩に書けば1日の出来事を綴ることが出来る。そういう意味では人生経験豊かな人が晩年に記したもののほうが若い作家より何かを言い得ているかも知れないが、問題は晩年になると記憶が正確でなくなることだろう。若い頃から晩年まで書き続けたら、それはもう作家としての人生になる。だから作家以外の仕事について言及は出来ないはずだ。

俺はマックブックを持ってはいるが、テレビゲームや読書が趣味だったからゲームプログラムを作るとか、活字を打ち込むという仕事しかできない。あとは頭の中に残っている子供時代のマンガになる。子供向け雑誌は子供に描ける絵が選ばれるので、それを真似する程度出る。

今日は朝食をとってからセガサターンX-MENを遊び、7面のジャガーノートに敗れた。どうやって倒すんだろうとしばし考えるも、明日の朝に再び挑むことを決めてコンビニにヤングジャンプを取りに行った。先週分を取り逃し、今週も1日遅れである。

実は俺のこの生活にはモデルにした人がいる。仕事に打ち込むより、親に甘えてマンガを読んだりゲームをして過ごしている知恵遅れの人が近所にいるのだが、暴れたりせず大人しくひとりで遊んでいるのでその親も食事の世話くらいでよく、晩年まで幸福そうに暮らしているように俺からは見えたのだ。

だが、世話をしていたお婆ちゃんの姿を最近では見ない。これから先どうなってゆくかはまだ分からない。それでも、晩年どうなったかだけで見ると、ノーベル賞の吉野さんとかは栄誉に預かっているが、研究者生活というものが果たしてどれほど幸福だろう。科学は真理であり、時代をまたいで受け継がれるものである。リチウム電池有機ELもその利便性を享受しているのは世のほとんどの人であり、世のために身を尽くしたと言うのなら、それは99:1くらいで主従の1%の従を背負っているのでは無いだろうか。

果たして、人生設計に於いて若い頃から晩年の栄誉を目指してライフプランニングをした結果なのだろうか。誰もがスマホで遊んでいるという世の中は、少なくとも科学研究に於いて、同じ製品を皆で分かち合っている。分けられていないのはレッドカーペットを歩く儀式くらいのものだろうな。