病院で読んだ週刊朝日に「墓じまい」の記事が載っていて

いよいよだなと。

俺は格闘ゲームと麻雀に異様なまでの固執を持っていたが、ひとえに寺のせいだと振り返る。子供の頃から檀家参りのお坊さんを口喧嘩で言い負かし、目の敵にされていた。ゲーセンに通っていたときもゲーセンに来るお客さんは自分たち中高生と社会人がいたわけだが、寺に通っている人もいて、口喧嘩になった後に何故投げハメは良くないかに「ルールだろ!」と強気に出ると「言ったな」と返し寺の麻雀に誘われ、負けがこんで3万円の借金をした。その時の口上が「ルールだろ?」だった。それは口約束だったが借りを作るのが嫌で爺さんの金庫から3万円を無心して返しつけると「怖いってなんでそんな金持ってんねん!」「これやるわ」と言って住職の子供にその場で3万円を渡したので「返せ!」と子供から3万円を取り返すと小声で「おまわりさーん、強盗です」と言ってその場は片付いた。

あと、格闘ゲームと大学の関係もある。俺は高校の時の受験勉強と言うと、ケンカのひとつだった。小学校の時は優等生で上からの物言いをしていて、私立の難関中学に通り自分の受験番号が校舎の掲示板に張り出されているのを見た時はバラ色に胸が輝いたが、中学に入ってみて3ヶ月もした頃には全てに幻滅していた。小学校で受験のためファミコンを取り上げられて頑張ったのに、またさらに6年先の大学受験のための勉強である。中学で優等生の集団の中での成績は落ち、家に帰るとオモチャも何もない勉強部屋が待っている。授業だけでも普通の学校より1、2時間長い進学校で、唯一の楽しみは学食のお釣りで通うゲームセンターであった。

最初はゲームセンターでも各々に別のゲームで仲良く遊んでいたが、ストリートファイターIIというゲームは対戦型でひとりのプレイヤーがコンピュータ相手の勝ち抜き戦をしているところにもうひとりが100円を追加で入れて主導プレイヤーに挑戦状を叩きつけ、もし勝ったら相手をゲームオーバーにして自分がコンピュータの勝ち抜き戦を継続する権利を得る、その続きのコンピュータ戦に対してもさらなる乱入戦の挑戦を100円で申し込むことが出来るというエグい仕組みであった。

ストリートファイターIIスーパーファミコンの100万本タイトルではあるが、ゲーセンでの出荷台数は50万台超え程度。常識だと思っていた乱入対戦は闇社会の裏ルールだ。

学校と家とゲーセンの三角形を往復していた俺は大学が何なのかも知らなかった。親父は大学を出ているらしいが、大学を出ていない人生は経験していないわけで比較して出ている方が良いというのは自分が大学を出たから自分のほうが良いと思っている自惚れであり、俺の目からは親父は周囲の人に利用されているだけにしか見えなかった。苦労性なのだ。

結果から言うと、俺は専願の国公立に落ち、私立大学は言っても無駄だと断じていた。しかし、俺が格闘ゲームを続けていると、私大に行って大学のサークルに飽きた連中がゲーセンで頑張っている俺をわざわざ馬鹿にするためやって来た。ゲームでは俺が勝った。そしてよく成功者のビジネス本などに成功者バイアスという批判がなされるが、成功者が結果論のバカを言うなら賢いものは負け惜しみで勝負をひっくり返してしまう。ゲームでは確かに自分が勝ったはずなのに、ひどい負け惜しみを言われて不快になるのはいつもこちら側だった。弁が立つというのは恐ろしいことである。冤罪で罪のない人が捕まるのも検察や裁判官のせいであるし、犯罪者がのうのうと生きるのも腕の立つ弁護士のせいなのだ。

病院の週刊誌で墓じまいで寺の存続が危ぶまれていると読むとメシがうまい。肉を独占するために庶民に命の尊さを説いて自分たちだけ肉を食うような生臭坊主は全部居なくなればいいと思う。俺からすると寺と大学は同じようなもので、教えの尊さに於いて東洋の宗教が西洋の学問によって淘汰されただけのことだと思っている。

しかし、現代まで続く仏教が腐っているだけで、釈迦の教えは尊かったという考えもある。大学も学問の歴史に点在する志高く真理を探求しようとする人の集団であろうとするなら、それもまた良いのだろう。ただ、西洋に大学というものがあり真似して建てて権力を持ち、坊主のように庶民を騙すことばかり考えていたら、それもやがて淘汰される日が来ることを願う。