和田先生は本当の意味で俺の精神の病巣を仕留めてくれたと思う

朝から高校のときに買った数学の問題集を読んでいた。

今年物置から見つけてきてパソコン机の上に置いていてたまに読み、いつの間にかその上にマンガ雑誌と1冊の新書に革の手帳が積まれていて、主にマンガを読み、毎日手帳をつけ、新書は時間があるときに読み進めているが、問題集は下敷きになった。

ふと、そういえば下敷きになったと思って取り出して、パッと開いたページの問題は医学部の出題で、挑んでもさっぱり分からない。悩んで、確かに問題集の最初の方からおさらいして「もう解ける」と思ったから閉じて取り組まなくなったのを思い出す。最初のほうが難なく解けるようになったのに、パッと開いたページが解けないのは、やはり基本問題から応用題になる過程でどこかに落とし穴があるのだ。

解けない問題のジャンルは置換積分。置換積分を解くためにそこからページを巻き戻ると積分法の基礎になる。おかしい、基礎から近いところなのにつまづく。そして置換積分の基本問題から導関数をおさらいして、もういちど本の全体を見渡すと、パッと真中付近を開いたのだが、本の後半は演習問題の解答が3分の1ほどあるので、真ん中後ろは相対的に最後の方の問題である。そう思うと、もうちょっと頑張ろうとなって、分からないから前にさかのぼって開くのでなく、どこまで行けばゴールなのか後ろに進むと定積分であった。てか、置換積分が定積分とどう違うのか考えると、定積分は公式を覚えて解けるようになったのが、置換積分不定積分から定積分の公式を導く証明題のようなもの。何だか、足場がカチッと固まった感覚が得られた。

41歳にもなって高校の問題集を解いているというのは辛いものがある。心理的に年を食った分高校生の時より賢くなっていると思いたいが、親とテレビの教育番組を見て自分のが早く解けるのが小学校の時に自分の特技は勉強だと思えた要因だった。

何故俺がいまどきに高校の問題集を解いているかと言うと、大学にいちどというか国公立の前期後期なので2度落ちているわけだけど、それを後の勉強でリカバーして就職したあと社会人3年目くらいで自分の会社のルーティンに飽きにふと東大に合格していたら人生変わったかなと思い書店で東大教授の本を手にとって見た。落ちたけど、惜しいところだったと思っていたので、東大に入ったつもりで東大の本を買えば大筋で理解できるだろうと踏んでいたのだ。

システムエンジニアなので工学部の本を手に取り、それはすんなり理解できた。しかし、問題は和田先生の本である。心理学のやさしい解説本なので、読み物として面白く何冊か買ううちに、いわゆるホットリーディングでなのだろう、俺のことじゃないかと思われるような図星の文章が飛び込んでくる。その中には「東大は他の大学と比べて特別な授業をするわけでない。大学受験があり、受験を乗り越えた優等生が集まるから頭脳集団足り得ている」という論が載っていた。とても痛いところを突かれた気分だった。

まあ、受験はふつう高校のときに経験して、社会人になった後は自分の役職を甘んじて受け入れ、働くしか無いと考えるのが普通だ。和田先生の本もその立場の差から出るポジショントークと受け流すことも出来ただろう。しかし、負けず嫌いな性格だった俺はその時にやってやろうじゃないかと思ってしまった。

俺は物理と数学が受験科目だったので、それに絞って勉強していたが、得意科目は語学で担任からは文系も視野にと言われていた。しかし親父の強い反対で理系を選び、苦手科目が受験科目だった。その進路選択も悔いのひとつであった。だから、まず世界史と倫理という得意科目から復習した。それはまあまあ、出来た。

化学も苦手だったので、中学の理科からやりなおした。古文も苦手で、これは高校科目だったが俺が年を食う間に教育課程が組み変わって中学古文というのが出来たので、その参考書を買うと克服できた。

数学はシステムエンジニアプログラマーを職としている間に自然に自習した部分はあるが、微分積分だけはコンピュータで関係のある仕事に就いたことがなく、穴だった。

それが41歳ももうじき終わりの12月30日、ついに微積分をくまなく理解したという自信のようなものが得られた。解けなかった問題からページを戻っても進んでも理解できる内容になっているのだ。もちろん、本だけでなく最近はネットで予備校の授業を無料で受けられたりもする。だから今どきの高校生は勉強でつまづきがなくもっと優秀かもしれない。その意味で優越感のようなものはない。

優越感は無いが、劣等感のようなものも無くなった。スポーツに対する劣等感もテレビゲームにハマる要因のひとつだったが、それもいつの間にか克服できた。

東大本の和田先生の本業は精神科医なので、あらためて振り返ると15年前に読書を通じて対話した和田先生は俺の病理を読み解いていたのかも知れない。本を読んで即座に治ったわけではないが、あらためて考えるとお医者さんに病気を治してもらったのかも知れないなとふと思った。

さいきん、サラリーマン向けのビジネス本に「大人の勉強法として学生向けの学習参考書で問題を解くことが情報面でもコスト面でも有益である」みたいな論を打ち立てているものが出てきているようだ。

しかし、念のために言っておくと、俺が勉強に戻れたのは親元に帰ってきた俺を甘やかしてくれた父親の存在があるからだ。フルタイムで働きながらではこうは行かなかっただろう。