子供の時に「十五少年漂流記」は読んだはずだが

内容はあまり覚えていない。代わりにジブリアニメなどはよく覚えている。

となりのトトロで田舎暮らしを、天空の城ラピュタで冒険譚を見せてもらった。

監督の宮崎駿さんのインタビューなどで「子供に安心して見せられるアニメを」というのがあったのも印象深い。高校の頃に同級生のアニオタが「ママは小学四年生」とか「くりぃむれもん」などを見て「ええやろ、ええやろ」とか言っていて、つまり子供に安心して見せられないのは戦争やグロテスクでなくエロチシズムであって、アニメーターの仕事のうちには裸婦画の描写なども含まれたのかも知れない。

だが、その話は少し脇にどかして、栄養のある食事や火の起こし方を子供に教えるという意味で、それが役に立つかと言うと、栄養面では俺は主に乳製品と米で出来ている。甘いコーヒー牛乳が大好きで「あんなものコーヒーなど大して入っておらずカラメルで色を付けた砂糖ミルクだ」と批判する大人がいるものだが、栄養のあるものを美味しく飲ませるという意味ではジブリアニメより雪印の仕事によるものだろうな。

火の起こし方という意味では、縄文式など知識として知りながら、ライターを携行していたが、ライターを携行している小学生というのは田舎町でも悪ガキに分類される。かんしゃく玉や爆竹は当時のおもちゃ屋で20円から30円で売られていて、俺は親父に殴られて育てられたので、常に反撃を企んだ。ゴム式のパチンコで石を飛ばしたり爆竹を仕掛けたりと武器になるものを必死で探し、親父が倉庫から裏庭に毎日通る道に車ででかけた後に落とし穴を彫り始めて、その深さは子供だしせいぜいくぼみ程度の10数センチであったが、帰ってきた親父は荷物を手に持ってそこで見事に転び怪我をした。はたしてバズーは家族にいて安心できる子供なのであろうか。

そういう宮崎先生は、結局の所自分の仕事である絵描きの仕事や映写機の仕組みなど仕事に関することは隠して、映画を作って興行収入から給料を分けてもらって生きている。現代社会で本当に食っていくためには田舎サバイバルではなくお金の稼ぎ方のほうが重要なファクターだと考える人のほうが多い。漂流記がそうであるように、田舎サバイバル術というのは既に情報化して読み物として売ることで版権で儲けるためのものなのである。

人を騙すために絶対条件は言葉巧みであることでなく、当人が何かに騙されていることだと俺は考えている。恐らく、宮崎先生にも映画を見る子供を騙すという意図がはじめからあるわけでなく「子供に教えてあげたいこと」で「学校では教えてくれないこと」を真剣に考えながら、自身はアニメーターとして配給会社などに騙されているのだ。騙されているから、真剣に子供を騙すことが出来る。あるいは俺は恨めしく思っているのだろうか。