久々のカルドセプト(尖りすぎからちょっと引いてみて)

年末にブックを組むということを4年間ほど続けた記録を見て、2018年には自己採点でほぼほぼ満点と言えるブックになった結果、2019年には「勝つより楽しみを」になって、どんなときに面白いと思うかなど追求していました。

んで今年は久々なので2018年からもっと強くならないかと、考え出して実験をはじめました。そして久々のプレイではプレイミスや手札の強さから来る「いらんこと」を数回。1試合に3回位「こうしたらもっと良かったな」と思うところを残して2位。

優勝以外は負けにカウントされるのですが、終盤までシーソーゲームでカルドセプトの楽しさを思い出すいい勝負でした。

昼食後に気を取り直して、どういう試合運びになったかというと領地レベル4からのクリーチャー交換でのケルピーハメ。んだよ結局ハメかよとやってる自分でもシラケつつ。

そうですよね、ケルピーに対策はあるとはいえそのカードの持っているポテンシャルは他のカードでは有り得ない効果があるわけで、長所を活かすブック作りが出来たら無類の強さ。何ていうか、やられた誰しもが強いレアカードのせいであると思ってしまう露骨なところがあるんですよね。

 

トレカゲームでカードが全種集まるまで本気では取り組めないという人もいて、かつての自分も「極めたら」みたいなことばかり考えてたけど、一緒に混沌に飛び込んで遊んでみて、その中で見つけた秩序とはつまるところ純粋な数学のようなもので、トレカゲームに数学を持ち込んだら方程式を解くみたいに「解」があるのかというと、ゲームとはいかなる数字の交換であるかみたいな無意識的にやさしい算数を無数に説いていることになって、気づいたら数の絡むことに対する観念みたいのが出来上がるというか。

 

ブラッドプリンというカードが最強だと言っている人と出会って「いやいや」とその時は返したんですけど、もういちどそういった人の当たった相手がどんなレベルだったかまで併せて考えると、対策を考えずに無謀に切りかかったらプリンがどんどん強くなるというシナリオにハマることもあって、その体験の後に「強すぎる」という意見が出たら自然なことだよな。

同じくデコイもアンシーンも「どうやったら太刀打ちできるかわからない」のが普通のレベル。強いカードてんこ盛りの2周目難易度でも余裕で勝てる。対戦型でカードが全種揃っていると相手も自分と同じことをして対抗できる。だから煮詰まっていると感じていただけであって、最初の混沌からどれくらい解き明かしたかあらためて振り返ると。

 

「各々が独創的なブックを組んで競い合える」みたいな理想のゲーム像は中級者の頃に確かに幻想ではなくそういう状態になって、多分そこから脱して誰しもがある程度は相手の真似をしないと勝てないと思い始めたあたりから、実際に真似されて五分になるまでの間において、アイデアが頭ひとつ抜けたポイントは確かにあったよな。

 

 

特にトレカに於いてはカードのシャッフルの運に対する確率とか、ことカルドセプトならサイコロに対する確率があって、それは俺にとって数学の得意科目が確率だったからその筋からばっかり攻めただけの話。確率を勉強しても相手と自分に降りかかる運量は結局同じでないかというのが正論の落とし所。

それを踏まえるとケルピーの能力はサイコロ運を無くす例外的なものだし、アンシーンや素置きプリンがマジックボルトされるけど、それらは相手の手札の選択肢を1枚自由なものから必須のマストに置き換えるポテンシャルがあるわけで、それをさらに突き詰めると相手がブック構築に於いてそのマストを取れるカードを編入させていないと無敵の一角が出来上がるわけで、そういうのって確率もへったくれもなくて強いカードであるって分かるようになったんですよね。