無理に内面をえぐり出すことはしなくてよい

ケータイの電話帳を見るととても多くの電話番号が入っている。

しかし現在はひきこもりのような暮らしぶりである。

コンビニまで散歩に行って缶コーヒーを飲んだ。

通行人の9割はマスクをしていて、そういやしてくるの忘れたなと少しのリグレットをするわけだが、していない人を見ると同類項に思えて安心する。

 

ブログを書くのは誰とも話さないことに対する埋め合わせの精神安定行動だが、実はキーボードを叩いて白いディスプレイを活字で埋めて自分で読み返すだけでもほとんど同じ効果がある。更新ボタンを押して世界に発信してどんな波及効果があるのかはすぐには実感がない。

これがメールとかだと、返事が来ると嬉しいし、反対に相手が忙しいのか反応がないとやきもきしていることもあった。たくさんの連絡先のほとんどは近頃では音信不通である。

「有限会社フリーライーフ大阪支社長 宮澤郷介」「つたんまにっき カーメン」は付き合いの幅が広い人物であるが、どこか演じるのが辛いペルソナであった。素の俺はただただ暗い。

 

ただ「みんなでワイワイ盛り上がる」みたいのを演技なしで心から楽しめるということが全く理解できないわけではない。楽しみに対して掛け値を付けて考えるようになってから、ただ俺はお金を出す係として使われてきただけかもと思い始めて暗くなり、反対に宴会の主役でなくなると盛り上がりを嘘くさく感じて楽しめなくなったのだ。

それには居酒屋の店員の愚痴とサイバーコネクトして、飲み会の楽しさが痛み分けになったのも原因としてあると思う。お金を払って楽しむというのは楽しみを用意してお金をもらっている側からすると理不尽な主従関係に思えるのも分かる。ITを選んだか居酒屋を選んだかで、ITを選んだほうがわけなく偉いというのでは不満も出るだろう。

 

議会民主主義で主権在民の世の中では、天皇陛下や総理大臣の令よりも何かの事情で今お金を持っている人が何に使うかが労働者が何を仕事に糧を得るかと結びついてくる。だから俺は酒は缶のクリアアサヒを飲んで、飯は大手飲食チェーンで食う。そうすると、アサヒビールとディスカウントストアと飲食チェーンの仕事ができる。ビール工場はどんなだか知らないが、大企業だ。ディスカウントストアはスーパーなどの細かいレジ打ちでなく箱売りで何となく仕事が楽そうだ。飲食チェーンも居酒屋ほどはブラックではなさそうに見える。忙しそうだが。

 

だが世の中はまだまだ消費社会で回っており、低所得低消費にシフトすると廃業に追い込まれる仕事もあるだろう。そういうところは銀行から融資を受けるわけだから、貯金しとけば問題はないようにも思える。ただし、その場合は自分は悪役になる。消費は善という価値観が居酒屋バイトの悲鳴という結末で一旦ストップしたのだから、いかに消費するかを考えるのも俺の仕事だとは思っている。

 

コロナウィルス対策のために交通や消費が減速して、生活必需が自然淘汰的に割り出されて問題が解決する頃には案外と合理的で個々人が幸福になれる上手い配分に落ち着いてくれないかなと楽観視する部分もあるのだが。


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