「大槻ケンヂはオタクに憧れていた」と雑誌で読んだ

出典明記できなほど記憶が曖昧ではあるが

オタクの友達が別のオタクの友達の靴箱に手紙を入れた。こっそり見てしまうと「ザブングルについて話がある」というメモでザブングルについての話ってなんだろう、いったいどんな話か。オタクの分からない話はすごいと思って興味を持った、

ザブングルだったかどうかは分からにがロボットアニメの名前だった。

おれはこのくだりにとても共感を覚えた。むしろそのために書かれたかのように。

オタクは表立って言うべきことではない時代だった。小学校で同和教育を受けて部落差別はいけないと教わった子供たちが、アニメの好きな子を平気で差別する。これは矛盾しているようだが、平等であるべきで、ビデオデッキなど特別な高価なものを持ち、子供っぽい趣味でなく大人と同じ趣味を子供ながらに道具で享受している贅沢ものは叩かれてしかるべき、みたいな思想がたんなる容姿や何やらを超えて根底にあるんだと思う。

しかし俺はみんなと混ざって部落差別解放運動のようにオタク差別を悪だと思っていて、オタク差別解放運動のようなことをしていた。オタクの友だちを作り、遊びに行くと小学校では自分がいちばん金持ちだと思われていたが、中学で出来た友達なんかはベータのデッキにPCエンジンGTなど10万以上するおもちゃをどんどん自慢して、ゲームボーイで遊んでいる俺の横で机の下に液晶ディスプレイの携帯ビデオデッキで「うる星やつらビューティフルドリーマー」などを見ていた。

運動部の林なんかはすっかり触発されて授業の間に「声優グランプリ」を読んでいたし、学校の視聴覚室にゲーム機を持ち込んで「ファイヤープロレスリング」で対戦したりした。

だが、差別が無くなったは良いが、どこか資金繰りで彼奴等にはついていけないという劣等感のようなものも強烈に植え付けられた。

学校で表出する以上に部屋の本棚が活字やマンガでなく宮崎駿の設定資料集「雑想ノート」や軍艦の写真集とか、1冊だけもビビるものが何冊もあり、パソコンもあり、俺はダンジョンズアンドドラゴンズの箱が買えず、ソードワールドの文庫に行くのが普通のところを骨董屋に騙されてトンネルズアンドトロールズというゲームブックでシナリオを書いていた。

俺のシナリオは貧困な発想で洞窟探検だったが、ゴブリンの数を出しすぎて皆が全滅してしまい、戦闘は少なく易しくしようという指針で作られた中田のシナリオはパソコンのプリンターで出されたスチームパンクだった。

結局、そのころほど濃い趣味のサークルに属せるのは「学校が同じだから」という部分が大きく、卒業してから振り返ると、どこか縁遠いのだが「オタクである」というのはオレの心の何処かにプライドとして残っていた。

でも俺、たぶんオタクじゃない。ギターとか弾いてみる、普通の高校生ルートをやり直そう。

そりゃ、わら半紙にシナリオ書いてサイコロ転がしてゲームするよりプレステのほうが楽しいよな。それは普通の感性だと思うし、そういうことをソニーがプレステ作る前に自宅でパソコンで出来たというやつがいくらでもいたのかもしれない。

そして俺がした運動は「オタク解放運動」ではなく「国民総オタク化運動」なのだよな。