植物の持つエネルギー

7年前に書いたブログ記事。

miyazawa.hatenadiary.jp

読み返すと、プロペラ飛行機で検索してきた人にエネルギー問題の提言を読ませていた。

そんな時代もあったなと思うのは俺がエネルギー問題を考えている時に大阪ガスの研究所の仕事をもらったんだけど、代替エネルギーが出来るならガスが売れなくなるという組織のあり方自体の矛盾と、ガスがよく売れて儲かっているので研究所の人はお役人状態で馴染めず、何と戦ってよいのかというか、切迫していない問題を予見してもなかなか聞き入れてもらえないもどかしさも感じていた。

この記事の末尾では太陽光発電と植樹して育った木を燃料とした火力発電の比較をすると同じになるのではないだろうかという漠然とした発想から何かを述べようとしている。

燃やすものそれ自体は長い目で見ると太陽光を光合成して吸収して出来たものだ。木が育つあいだに葉、花、実が出来て、それらを全て乾かして燃やした総量が太陽光発電と同じというのなら、そこそこ原理としては正しそうだが、どのように実験すればよいかは悩ましい。

天然ガスもその成り立ちを考えると地球が出来てから文明が発達するまで46億年かけて地球に注がれた太陽エネルギーからなる生体エネルギーの合算だから、それを採取して燃やしていく量が増えていくと46億年後までには使い切ってしまう。

そう考えるといくら使っても大丈夫という論理も正しいように思える。太陽が燃え尽きたり、地球が冷え切ったりして地球上の全生命がいつか滅ぶなら、原始生活をしてそれを待つより文明科学を発展させて地球外に人間活動を拡大させてゆくほうが将来性があるかもしれないな。

この論理を持ってすれば自然破壊だと言われても宇宙研究をするための正論足り得るよな。

いや、俺どっちかと言うと環境保護派だったんだけど、敵に塩を送って寝返って塩食うわ。