ラクに結果を奪われるのはシャクってもんだろうな

便利な社会がコロナウィルスで崩壊しつつある今、生きる気力が戻ってきている。

あるひとつのテレビゲームでの勝敗に思考回路の何もかもを奪われた状態から、自分の生い立ちや両親の好きなところ嫌いなところ、出来たと思った友達に裏切られたこと、それでも自分で気づいていないだけで陰ながら支えてくれている人を思えるようになった。

過去は変えられないのかも知れんが、過去に対する捉え方の変化が起こってきているのは間違いない。

昨日は酒を飲まずに寝た。とても久しぶりに。そして今朝から鬼滅の刃を最初の方だけ読み、アニメを見ようかとサブスク配信のタイトルまで進めて、再生ボタンを押すのが億劫でやめて文章のネタバレを読んだ。

結果が知りたいのだろう。格闘ゲームも俺は特に初心者向けの操作方法から用語解説などやさしいところから書き始めないといけないと考えて、30年近い歩みの中から何を最初に据えるべきかというとストリートファイターIIだけで本当に良いのかなど考えていたが、読みたいという人は「それを読めば優勝者の思考が我が物になる」文章が欲しいのだろうなとも思う。

それに対して俺は「地道に同じ苦労を背負って強くなれ」と思ってしまう節もある。

だが、案外と簡潔にまとめられるかもしれない気がしてきたので書いてみる。

俺がネブラスカのストIIX大会で優勝したのはシンプルな待ちガイル戦略だ。

多くのプレイヤーは対戦中に試みてお仕置きされた行動を取りやめ、上手く行った行動を繰り返す。これは心理的にもそうだし、初歩的なゲームプログラムの自己学習機能と全く同じアルゴリズムだ。ある種の合理性がある。

そして、本田対ガイルの本田側の上手いプレイヤーの戦術はこうだ。まず、ガイルは待つ。待っているガイルに飛び込むとサマーされる。従って待ち合って相手がソニックを打ったら飛ぶ。打つのを見計らって飛べればベストだが、そのためにソニックを打ったのを見てからやや手遅れな飛び方をして中攻撃などの安い対空技をわざと喰らい、ガイルにソニックブームを打つ動機づけをする。そして待ち合い時にソニックを打つとご褒美が得られると思ったガイルプレイヤーのソニックを落とされないタイミングの先読みで飛び込み、投げハメで殺し切る。

まさに肉を切らせて骨を断つ、安いご褒美からの痛い反撃を相手の行動は同じくしたまま裏切る戦略である。

それに対して、俺がしたことは餌の食い逃げである。相手の甘いジャンプをしゃがみアッパーの相打ちで落とし、ソニックをどんどん打ち、体力がお互い減ってきたところで、別人のように初心者的な待ちガイル戦略に切り替えたのだ。ピタッとソニックブームを打たなくなったところにソニックの先読みをして飛んだ相手を「実は打たずにしゃがんで待ってます」でサマー。

種を明かすと簡単すぎて興ざめになるし、今後の試合で同じ手が使いにくくなると思って、長らく「運が良かった」で済ませてきたけど、もうそろそろ明かしても良いかなという気分になったのもあると思う。

ただし、この時に運は運でも格闘ゲームは弾、飛び、待ちの3すくみジャンケンであり、ガイルでソニックを打って飛び越した相手を迎撃するということを戦略だと思っている人はとんでもない勘違いさんで、ソニックを打つか打たずにサマーをためたまま待つかの無数のジャンケンを勝ち続けているプレイヤーが勝者になるということの本質は充分に伝えた。

だがな、4000万部の名作鬼滅の刃を1巻だけ読んでネタバレを求めている男が1000文字くらいで出来る解説を秘匿して毎日駄文を投稿するというこのライフスタイルにも矛盾を感じている。ズバッと言えば、ラクになれるのだろうか。

あらためて楽になると、その読み合いはストIIの対戦の本質ではあるが、対戦でなくひとり用ゲームとしてのストIIにはゲーム理論以外に映像や音楽の絡み合った動かして遊んでいるだけでも楽しい無数のコンテンツがあり、近年のゲームもゲーム性だけでなく芸術性を追求して仕事に打ち込んでいる人もいるわけで、鑑賞だけでも娯楽足り得る。

そろそろ、スーファミ時代のカセットのひとつくらい種明かしで店じまいしても良いかなと。


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