今日のFFVII(退屈な音楽によるフラストレーションからの解放)

運搬船で放っていたFFVIIを再開してみた。

運搬船はたぶん良くある詰まりポイントでネットにも質問がある。詰まったのでネットの攻略を見ようとしたが、攻略がわからないというよりはFFVII特有のマップの見づらさでどこが入り口でどこが出口か続けていると分かるのだがセーブから時が経ったら分からなくなるという。

そして、運搬船が詰まりポイントなのは音楽が退屈だからだとも思う。日本の活字媒体は同じく活字の守備範囲であるロープレゲームを強く推してきたし、すぐ飽きるアクションより一定時間遊べるロープレが中古市場に出回りづらく新品売上を一定数持っていたのも事実。

その中にはゲームの面白さについて、快感追求でなく一定のストレスを与えることが、それを脱したときの快感となって中毒性を増すというようなことを読んだこともあった。

ちょうど、連絡船はそういうシーンだなと思うんだ。シナリオも描写もぐっと堪えるポイントで、そこを抜けると久しぶりの戦闘からネタバレはしないが普通のフィールド画面に遷移するまでは急展開でスーファミゲームボーイからのスクウェアのシーン運びの上手さを感じた。

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そして次のセーブ可能ポイントでは、ゲームを進めずBGMをずっと聴いてみた。プレステはつまりCD容量なので1曲の長さも曲数も多い。そのためファミコン音楽にありがちな短い繰り返しフレーズによる中毒性はあまりないが、それをもし求めるなら戦闘を繰り返せば良い。

恐らくだが、ロープレゲームのプレイヤーは行く先々の曲を覚えて、キャラをそこに移動させることでDJ的なことを楽しんでいるのではないかとも考えられる。

リメイク版発売のコマーシャルにそういや旧版を放っていたなと思いだしたが、そもそも俺はサターンユーザーだったのでPS2が初プレステで、ドラクエとFFが好きだったのに最新作を遊べないという辛さを味わった。このへんで性格に歪みが出来たように思う。

友達と競争していたFF6の速解きで家に帰ってさあ続きをやろうと思ったら弟が勝手に遊んでデータを消していた、という件から友達に嘘をついてしまったという過去もあったな。

それでドラクエとFFはホントは好きなのに「もういい、卒業だ」みたいにどこか拗れたな。

ゲーム以外の趣味を探し求めた時に、古い本や黒澤明の白黒映画をDVDで見てみたりして、趣味の時間が無くなった人の平文だった頃の普遍的なテレビ、映画、音楽体験を活字中心のファンがいい情報だと思ってありがたく読んでいるという状況は確かにあって、俺のブログも俺の個人的体験に基づく思い出のゲーム集だから、面白いゲームを探しているならもっと多く遊んだレビュアーさんがいると思うし、それよりも普通にメディアの注目の新作のがプロが選んでんだから面白いとは思う。

ただし、既に形成された過去作のファンのやりとりに絡みたいと思ったら、自分の世代とか発売年代が違って勉強のためと思って過去作をプレイするという取り組みは理解できる。過去作に取り組んで年配年上と付き合うか、時流に乗って同級生や年下の友達を作るか。

テレビを見る時間を削ったら、多くの世代をまたいで人気のあったゲームをひとつづつ遊んでみるくらいのことは時間的に出来る。けど、俺にとってゲームが面白かったのは勉強を強いられた時代に隠れて遊ぶゲームボーイだったという禁酒法的な快感であることは異論なく、好きに遊んでいいならコンピュータゲーム以外にも遊びの選択肢はある。

技術の進化で比較的に陳腐化して見える昔のゲームからシナリオや音楽を抽出して現代風にアレンジすればまた楽しめるかとゲームクリエイターになりたい人が勉強のためにするゲームみたいなゲームな気がする。振り返って遊ぶFFVIIには色々の価値観から多様性のある意見が出てくるとは思うが、これが最先端だった時に時流に乗って遊べなかった悔いがいつまでもつきまとうのだよな。新作のときからやや映像的に他社作品より見劣りしていなかったか、みたいな話もしてみたいのだが。


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