月曜日に休むというのも変な話だが

近頃睡眠時間が減っていて朝は頭痛があり、便秘に悩んでいた。

妙に焦っている。

国民が皆政府の言うことを聞いてじっとすればウィルスは自然に死滅して沈静化する。

理屈では分かっているが、先走って「どうせ死ぬなら遊んで死にたい」人もいるだろう。

遊びのない人生にどれほど意味があるだろう。

森博嗣の小説「すべてがFになる」の天才科学者真賀田四季は子供の頃から図書館で本を読んで過ごし、周囲の人間に完全に利用される生活をしている。天才がそこまで他人に利用されることを甘んじて受け入れるだろうか。

それとは対極に誰からも求められないで孤高の生活なんてものが出来るのかと考えると、天才だと他人から称賛されるのは役立つ人であるということを導き出せる。

ウィルス騒動のいちばん初期で学校の休校が速やかに決まったのは、パンデミックは以前から予想されていたことであり、医師とどういった予防策が考えられるかと相談した時に「学校や会社が休みになれば蔓延の深刻化は防げる」という結論になり、学校なら文部科学省の管轄にあるので休校できる、しかし企業は目先のカネと目には見えない医者や保険機構の心配事を天秤にかけて要請を聞き入れてくれるかという話になったところで、話は保留されていた。

俺はかなり遊んできた人生だと思うので、その申し訳無さから何か社会の大問題を解決しようと20代はエネルギー問題について色々と考え、触れて回る変人だった。それで結局庶民感覚の問題になる前に問題が収束して、そもそも俺は触れて回っただけで具体的解決に着手したわけではないから、手柄については求めているわけではないが、パンデミックに際しては触れて回る以上にもっと上手くやれないかと考えていた。

だが、現実になって、何も打つ手が思い当たらない無力感を味わっている。いまかかっているひとが誰にも移さず自然に治るか亡くなるかまで、国民の生命活動が維持できれば、多くの命は助かるのだ。既にテレビとネットで多くの人が政府からの要請を受け入れて休業や自宅待機に入っている。ただ、人の生きる意味を考えた時に、病気が怖いから家でじっと死ぬまで待つような人生を他者に強要するだけの理由は俺にはない。

気づけば寝たおかげで頭痛は治まり便通も良くなり、少しプレステで遊んで漫画本を1冊読んで、難しいことの考えすぎにならないように少し頭っをほぐせた。


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