友達って何だろうとふと考えてしまった。
楽しく遊んで話する相手なら、自分で見つけられるという洋楽「オネスティ」的世界。
誠実、それがいちばん得難いもの。
俺はこの歌をアンジェラアキのカバーで何度も聴いて本当にそうだなと思った。
俺は金持ちの家に生まれたが、太宰治の人間失格を読んでハマって、読んでいない斜陽のような人生を歩みかけていた。人生というと俺の問題のように思えるが、両親の別居や時代が変わって相続税が高いことなどがその要因である。自力にも問題はあるだろうが。
それで、金が目当てで寄ってくる人というのは後を絶たなかった。金がなくなるまで。
そういう人の見せかけの笑顔を親切のように感じていた。
そんな俺でもマクドナルドのスマイルは0円だが、ポテトやコーラにその代金が含まれていることは子供ながらに知っていて、そういう直接的な商売に対してはケチな割に、やくざ者の間接的な「だまし」には全て引っかかっていたように振り返る。
しかし、なぜ騙されるかというと、俺は親切ではなく、信心深いところがあって良いと思うことを続けていればきっと誰かが見てくれている、みたいに思っていた。これは神を信じているに等しく、俺だけは天国に召されるんだみたいな思い込みが深層心理にあったのかもだ。
だから、人に悪いことをされたとき、本当に良い行いをしたら天国に召されると思って、さらに人のことをも思っているなら、行いを正し、信仰をすすめるべきなのだろう。
そう考えると、新興宗教の勧誘などははた迷惑に思えるが、筋は通っているのだ。
だが、俺はいま神様をどこか疑っている。そんなものはないかもしれないと思っている。
そして天国も地獄も無いと思っているから、悪いことが怖くはない。
ただ、世の中には法律や警察があるので、そういうことは気をつける。
それ以上の目的や信念というものは、いま退屈なのでこの機会にあらためて考えたい。