19歳でゲーム業界の暴君だったことを35歳で我が身に全部受ける

19歳の時に俺はフリーターでゲーセンバイトをしながら給料全部ゲームソフトに使った。

店をふたつ掛け持ちしていて、自給は奈良で800円に大阪で1000円だった。

だいたい、ゲーセンバイトというとボッ立ちで老人が警備員とかの代わりに年金の足しにするバイトだったのだが、俺は若くてやる気があり、ゲームの人気調査を特にインカム面だけでなく客層に分け店の入口でカラオケ店と近い方にプリクラとぷよぷよ通、キャッチャーには女性者のポーチなどして内装を変え、ヲタの多い店にはときめきメモリアルのグッズのキャッチャーにクイズゲームなど、あと台の整備に基盤の売買など出来ることを色々やっていた。

しかしフリーターになる前完全なプータロー時代のゲーム仲間が系列店の社長が来る時間にたかりに来たり、シフトの減った爺が俺が掃除した後にゴミを落として社長にまだ汚れていると報告したり、流石に社長も子供ではないので露骨な罠にはハマらずにしかし周囲が罠にはめてでも俺をうざったがっているのは察したようで、奈良の店は辞めた後に美容室になり、大阪の店はコンビニになった。やる気があるならそういう仕事をしてほしいという意思表示だ。

しかし俺はゲーセンバイトでもらった給料はゲーム代に使い、ゲーセンにカネを幾分か返して、ゲームボーイネオジオファミコンスーファミ、サターン、PCエンジンメガドライブなどをどんどん買って遊んだ。ゲーセンで働いている時は俺が店に入れるゲームを決めていた。これがゲーム会社から見ると、売りたいゲームと買ってもらえるゲームが違ってゲーセンでバイトしている坊っちゃんのワガママに困っているという感じだった。

それから、ゲーセンバイトでゲームを買ってもゲーム以外に趣味がないのでバイクや車を買えば丁度金がなくなったのかもだが、クルマは親父のお下がりで、貯金で専門学校に行く。

専門学校ではCG学科だったけど、ゲーム会社の企業研究とかは出来てなくて、パブリッシャーとデベロッパーの違いなども分からず、大手パブリッシャーに就職活動をして結局就職が決まらず大阪市内の小さなパッケージソフトの小振りで社内で全部やる会社にバイトで入った。

そこから15年ほどすっ飛ばして、大手デベロッパーでゲームを作るのだが、そこでは誰もストリートファイターIIドラゴンボール超武闘伝の区別が付かないようだった。

俺がゲーセンバイト時代に見ていたものは企画ではなくプログラマの職人技だったのだ。例えば3DSカルドセプトを持っている人は動かしてみてほしいのだが、最初のメニュー画面でカーソルを動かすと、メニューのボタンの角にハイライトがキラッと入っているのだが、カーソルをボタンで動かすたびにそのハイライトがキラッと煌めくようになっている。

俺はそういうドッターやプログラマが暇つぶしで作ったような細かいこだわりの数々こそがゲームを面白くしていると考えていた。実際、そういうのは企画段階で決まっているような仕様ではなく、しかもスケジュールを余して暇つぶしで作っているわけでもなく、良いものを作りたいという職人的なアルバイトがタイトなところを更に詰めてやっているように見えた。俺もRPGのメインメニューにスマホのタップにファミコン時代のアイコンが追従するようにとか、色々やっていたら、メインシーケンスに大バグが見つかってその責任を背負って退職した。

特に最近作ったVBストリートファイターIIもどきでも「ココから」だと思っても既に多くのクローンはゲームの骨子に「ココまで」を見て誰もそれ以上の仕事に既に興味を持ってもらっていない。

俺がゲーセンバイト時代に唯一読み違えたのがストリートファイターEXのインカムで、アレは俺は0点の評価だったけど、お客さんはどうやらそれで良いようで、社長に「ミヤザワ、アカンやないかぁ」と言われた。しかし怒るでなく社長は俺に失敗があることを安心して笑っていた。

今日の話はココまで。