既に今までの人生でも満足できる、その先に紡ぐ未来とは

「あの頃に戻りたい」と思うとしたら25歳くらいだろうか。

仕事は自分のやりたかった仕事とはちょっと違うけど、就職してやってみて興味を持ってたし、会社の中での人間関係も悪くはなかった。嫌いな人もいたが信頼できる先輩がいた。

お金もあった。セールスに乗って借金を背負う前で何不自由無い暮らしだったと思う。ただ、今とは体力とか情熱が違う。今からあの時と同じ働き方をしたら持たないだろう。35歳でゲーム開発の仕事に就いた時、電車の中で倒れてしまうまで働いた。それでも職場の人からは遅刻した言い訳程度に思われるだろうなと思って黙ってそのまま席についたが、どう連絡が回ったのか、職場にいない上層部から辞令が下った。理由は知らされていない。倒れたからか遅刻したからか納品前にバグが見つかったからとか色々考えたが、まあ今から振り返ってももっとやりたいと思ってもあの時にゲームはひとつの完成を迎えていたので、それ以上となると新作に取り組みたいという話になり、企画でもなければひとりのプログラマとして出来ることはしたとも思える。最後の日は定時より少し残業して半分くらい人が帰るまでゲームを触っていた。そして出口までグラフィッカのYさんが見送ってくれた。ひとりだけだが、最後まで完成しているゲームをアップデートしているのも二人だけだった。最後と言葉は「もっとこう、アニメーションとかそういうことやったほうがええんちゃう?」と言われ「いやアニメーションって言ってもプログラムは画像ファイルを順番に差し替えるだけだし。Yさん仕事増えるだけっすよ?自分でアニメを描けって意味で言われているなら、そうかもしれませんけど」「あ、ああ、そういうことなの?」

しかし昨今のスマホゲームのTVCMなど見ていると、俺ああいうゲームのチームにもし入れたとしてなにか仕事出来るかなと若干の不安はある。もう俺の世代のゲームと今のゲームは同じゲームという言葉でも体験が全然違うし技術も進化してるし。あとゲームもしたいけどそれ以上にテレビが見たい。ゲームをするときPS2のコンセントタップの電源を入れて、本体の電源を入れて、最初はロードなので読み込み時間中ギリギリとかデモが始まる頃までテレビを見ていることが多い。そしてテレビが消せずにデータを誤って壊さないよう一旦ゲーム画面にして、メモリーカード読み込みで無ければそのままもう一度電源を切ってテレビを見たりすることもある。

つまりは多くの人の夢はテレビに出たいではないかと思うと、俺のゲームクリエイターへの夢もつまるところテレビに出る歌手になりたいみたいのは到底出来っこないからパソコン関係ならパソコン雑誌に載るところまでくらい出世できるかみたいな打算があり、そうでなくテレビを付けているとみんなが憧れたその仕事を勝ち取った人が映っているわけで、それをメモリに書き込まれた映像で上書きすることにためらいがある。けどもちろん、ゲームの映像だって作った人はいるわけだから、それを鑑賞しないでカメラで撮った映像の方を観るってのはこれはもう比較できるものでもないけど、矛盾もあるかもだけど、とにかく受け取るのに目一杯。毎日がパンクしそうになって受動的な趣味を満喫している。

時々、ふとその生活に「暇すぎる」と思うことがあるんだけど、それはもう流し込まれるメディアからの情報に疲れてつけっぱなしのテレビの音も映像も感じ取れないくらい疲弊して「暇だ」と思うのだ。

ただし、そのある意味では満たされた生活の中で自画像がどんどん堕落していて、スーツを着てキビッとしていたあの頃が少し懐かしい。残念で当然ではあるが、過去には戻れない。これから先どうなりたいかは時々考えて軌道修正したほうが良い。それはこのままを維持するのが10年単位で見ると期限付きだからだろう。ずっと今のまま続けば良いんだがな。


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