今日のカプエス2(2週間カプエス2を断ってみて)

2週間ぶりにカプエス2をしたんですね。昨日の晩と今朝と。

昨晩は負けてコンティニュークリア、今朝も負けて電源切るとTV番組「スッキリ」にロックバンド「黒夢」のボーカル清春が出ているところで2曲聴けました。

なんというかね、負けれるようになった。たぶん負ける準備が出来たんでしょうね。

俺は22歳で就職したけど、あの時はまだ公務員は世を忍ぶ仮の姿であって自分はゲーマーだと思っていた。プロゲーマーとか無かったし、何かして食わないといけない。それは分かってるつもりだった。けど「働きながらゲームも」となると借金してでも働かないでゲームばかりという人に勝てなくなり始めてた。その現実は直視できていなかった。彼等の中からプロゲーマーが出た。

それから、仕事を頑張ってプロゲーマーより稼いでやろうと考えてしまった。しかし給料制なのでいくら働いて少し給料が増えても賞金制や年俸制に額面で勝てるはずもなく。個人事業主として取り組んだ仕事は失敗した。

けど、冷静に考えると22歳ってストZERO3やストIII3rdにKOF'98とか遊んでて、プロなんて今考えたらなれっこ無いくらい下手だったな。就職したからお金が貸せて周りの人が負けてくれているだけだった。30代で職場の人にゲーセン通いを止められて、家でゲーム機で遊んでお金貯めたほうが良いよってなって、ひとりでやりだしてから10年くらい経つんだ。

その10年の中でもゲーセンに行かなくても大会に出なくても「もし出たとしたら勝てる見込みのあるキャラ」を練習していた。

それが昨日と今日は最初に使っていた豪鬼とガイルに2年くらい前から始めたベガでグルーヴはオリコンのAグル。格闘ゲームって展開が早くとほんのちょっと60分の1秒の目押しが60分の1秒ズレるだけで勝ち確定が負けになったりするんですよね。

楽しいことなのか辛いことなのかも自分では最早分からなくなってきてる。ただ、今までの人生考えるとゲームに全部賭けたわけでなく、少しずつゲーム以外で食える道を探して何分の1づつだけど、そっちを貯めてきたんだよな。負けても食える保険を掛けてきた人間が勝ちだけを求め続けることが出来なかったとでも言うか。

そのせいか、心のどこかに情熱の燃えカスみたいなものが残っているんだよな。

その燃えカスをこれからの人生でどう消化してゆくか、どう付き合っていくか。

多分そういうことなんだ。

目押しが1フレームズレるだけで結果が白黒反対になるって厳しすぎるとは思うよね。ギターならズレようが間違えようが聴ける。名演というのも少しの狂いで台無しになる孤高の作業というようなものでも無いとは思うんだよね。

そう考えると、ゲーム大会でも優勝者以外にそれを引き立てる脇役の人々も目押しのミスで負けるなんてのはどの大会でも見受けられる光景なわけで。

負けは負けで取り返しのつかない地獄への片道切符ではなく、そういう試合なんだと思えたらちょっとは気持ちが楽かな。

2週間カプエス2を断ってみて、パソコンでストリートファイターを作ってしまった。どうしてもまた遊びたいと思った。中毒かもしれない。1日1回20分位でそれは満足できる。

今日は負けたところで電源を切った。この数年で2回ゲーセンに行った。1回は300円と決めておいて、負けて終わったらリベンジは考えず小銭入れのチャックを閉めて帰った。もう1回はフリープレイイベントだったけど、それも閉店までやらずに持論どおりに五分五分くらいになったところで序盤の負け越しを取り返そうとは思わず、きっとこのまま続けても負けを取り返すことはなく五分五分で推移するだろうと思って引いて松屋牛めしを食って帰った。後ろからホストの兄ちゃんが来て人数分の持ち帰り牛めしを頼んでいた。

牛めしがお百姓さんの育てたお米に生き物である牛の肉、鍋の隣で暑いのにかき回して味付けしてそれで味噌汁がついて280円なのにゲームの映像は対して変わらないのに操作の如何とプログラムの判定で負けたことにされるのが許せなくて台にお金を入れてしまうの300円でも信じられないくらい高いんだろう。サラリーマン成りたては2000円でもすぐだった。

家で遊んでも100円はいらないけど、勝っても誰も100円は払ってくれない。つまりは店で彼奴等から100円を取り上げるのが目的だったのではなかったかと。

まだまだ、お金を全部取り返すには辛抱がいる。下衆な考えかもだが、資格を取って給料をもらうという安定の道を選んだ俺はあの時は自分が最後に笑うんだと思っていて、プロゲーマーが笑うシナリオというのは許すことが出来ず、もし落ちぶれたと聞いたら人の不幸は蜜の味で昔に自分がいちばん嫌っていた病院の待合室で女性セブンを読むようなおばあちゃんと似てきたのかも知れない。公平とか平等とは決して思えない。それが本音だろう。

 

俺は大会優勝くらいなら経験があるがトッププロではない。それでもこの田舎町では「勝ちすぎ」と言われる。カードゲームにしても「高いものの見せびらかし」と言われる。その文句に負けてわざと負けてやることは出来た。そうすると、ものすごい負の感情が芽生えるそうすると、負けていた彼等は「負けるのがそんなに嫌か」と咎めてくる。待てよと、彼等とて負けるのが嫌だから「勝ちすぎだ」とゲームで勝つための努力でなく本人攻撃に転嫁したのだろう。

そう考えると、彼等の言い分を聞く理由などこちらにはないのだ。公平や平等を訴える左の人が富んだものにたかってお金を取ることは合っても一斉に被災地にボランティアに行くなど聞いたこともない。富んだものの役目として本当に貧しい人を助ける務めがあることは分かるのだが、ただ声を上げて楽をしようとする大衆の話など聞いてはいけないのだ。