次の世代に仕事をどうやって引き継ぐか

老害とは組織のトップが高齢化して健全な世代交代がなされないことである。

しかし、俺はそれがそこまで悪いことだとは思えなくなってきている。

例えばバンダイナムコゲームスの宮河恭夫さんは御老体である。

ガンダムを作った富野由悠季やメカデザインの大河原邦男も高齢。

スーファミドラゴンボール超武闘伝が出た時はクソゲーだと思ったが、案外それで結構遊んだもの。超武闘伝2が発売された時は前作はメモリが少ないせいで出来ないことがあってそれを追加したらゲームが良くなると考えられたようだが、2も3も超クソゲー

俺が京都の大手ゲームデベロッパーで働いた時はRPG大手の下請けであったが、格闘ゲームが好きなことを上司に話してその頃にはストIVくらいまで出ていたが、振り返って超武闘伝の何がいけなかったかという話を問われマクドナルドで語った。

今でもどういうカラクリかは分からないが、ドラゴンボールのキャラでゲーム開発がギルティギアアークシステムワークスという企画が実現して、古いアニメであるにも関わらず大ヒットとなった。

組織の世代交代がある種健全であったなら、組織の知識レベルや技術レベルが世代交代によって頭打ちになる部分があり、上層部が固定化してパンキッシュに現場仕事に打ち込む人がいることでもたらされる発展も俺はあると思う。

俺自身、下積みが長く技術的には既に先輩や上司を超えている自負があるのに役職は低いままということを経験して、自分が上になって下を育てるような立場に変わりたい、下が欲しいと願っていたことがあるのだが、下がつかないせいでレベルアップできた部分はあるわけだし、それが果たして幸福かどうかはさておき、よりよい製品を生み出す原動力にはなった。

もちろん、健全な世代交代が進んでも人類史が発展の一路をたどっていることは恐らく間違いないし、ある時代を見た時に得意な点があるから現代が不健全でそれを言葉にしたものが老害であることは分かる。

例えば、ドラゴンボールの面白いのがもし出なくても、その分だけ鬼滅の刃のゲームがもっと面白くなっていたかも知れないという可能性はある。

何というか、組織の上層部のことは分からないので、健全と不健全を見分けるだけの情報は俺は持たない。自分の努力に対して評価を受ける人が自分本人でなく雇用者やクライアントであることなんて今では当然に思えたりもする。

それでも、自分が評価されたいと思う前に先達の仕事を見ていくと、なかなか自分が既にそれを超えて後進に教える立場になるにはまだ早いと思わせられる部分に少しづつ気付いてゆく。

周りを見れば結婚して子育てを終えた世帯もいるわけだが、駐車場にクルマを止めた時に頭の悪そうなガキが口を開けて自転車を漕ぎながらこちらのクルマの中をジロジロと見ているさまを見て、自分を育ててくれた両親にどこか感謝の念がわいた。幼い頃に絵本の読み聞かせをして、中学受験の時には母親は勉強は分からなかったが見張りとして諦めずに俺の勉強部屋でずっと勉強しているさまを監視していた。

パソコンを買ってもらうのが遅かったこととか、俺がソフトウェアの業界で遅れていると言われたことをどこか親が持たせてくれたのが遅かったことに責任転嫁するような考えも持ったことはあるが、少なくともあの自転車の子供とは育てられ方が違ったように思えて、良いほうだと思ったのだ。

健全な世代交代というのはともすると現世を来世のために投資するような行為なのだ。

そう考えると、俺は自分の残りの人生を自分のためでなく子供のためとか広く世界中の人の未来に向かっての豊かさみたいなことに使えるかと考えると、自分も年食ったら老害になるのだろうなと言う気はしている。責めようがない。ただ、いま生きている環境で生きるのみだ。