出来ればビデオに残して「やめたい」と思ったことはある

今日のカプエス2は不調。スランプは言い訳かもだが、ベガのバニコンもさくらの咲桜連打も豪鬼の灼熱連打もミスらず決めて終わるようなことがあれば、基本的にオリコンに関してそれ以上はなく「出来ればビデオに残してもうやめてしまいたい」と思ったものだ。

下手な内は「もし極めれば」と上達の先に希望を見出しているものだが、実際そこまで出来ると後は下手になるしか、多分無い。Cグルーヴでぶっぱスパコンで勝っている時はそれをオリコンでやればと思ったものだが、反撃を受けない真空竜巻、LV2レイド、ソニックハリケーンと極まったオリコンはそこまで違わない。オリコンのほうが威力も発展性もあるのは明らかだが、維持練習をする労力を考えたら、ガチャれば出るスパコンのほうが楽で、だから仕事をしながらでも苦にならずに長続きした部分はあると振り返る。易きに流れたわけだ。

勝ち負けにそこまで拘らないなら、失敗してもいいからオリコンを使い続けるほうに道があるかもしれない。気負わずに「決めたら勝てる」という意気込み無しでサラッとオリコンを決められる境地は恐らくあるのだろう。実際にそういう人はいる。どのくらい練習しているのか走らないが、それが次の目標だ。

俺は対人関係に於いてへりくだることをせず、ゲームと言えど勝って威張ってきた。だから負けることは人間関係に於いて「勝っているから許されている」部分を許されなくなることを意味するので、ゲーム中には恐怖によるプレッシャーに押し潰されることもあるし、勝ち負けを気負わず挑むというのはゲームに賭ける情熱そのものの意味すら書き換えるような心掛けの変化を意味する。

それでも格闘ゲームカプエス2をまた毎日出来るかと考えると、やめてスパロボとかで遊び始めた時にどこか自分の心に問い直すものが出てくる。何が問題か答え以前に問いそれ自体が分からない部分もあったのだが、恐らくそういう「勝って威張るため」以外にどんな価値をゲームに見出していたかという部分を「何でも良いから勝てば良い」ではない、それには代え難いものを手放すことになるのが気持ち悪く、怖いのだろう。

恐らくAグルのオリコンを取る時にCでも出来る通常の立ち回りでも強いものがさらにAを取るとゲージ溜めてオリコンぶっぱでない別次元のカプエス2が見えると思っていた。まだまだその境地には辿り着いていないと思う。ストIIXで「もしリュウケンの達人級の人が豪鬼を使ったらメッチャ強いんじゃ」という夢は見た。

それがカプエス2では豪鬼オリコンでも、斬空波動を安易に打ったらサガットのタイガーキャノンやブランカの前転キャンセルローリングで返されるだろうというような実際にされたわけではないのに「究極的にはそれで返せる」という架空の仕上がった対戦相手に対する恐怖のようなものが先に来る。

最強を目指すのと今の取り組みとは、ちょっと矛盾している部分がそういうところにある。どこにそんな相手がいるかと考えたら、自分がゲーセンで相手をして育てているようなものだったんだ。ひとりでコンピュータ相手にゲームをしていても、誰も斬空波動に上キャノンでは返してこないしブランカも前転キャンセルローリングで斬空波動を抜けてきたりはしない。

ではそれを練習したら大会優勝とかにつながるかと言うと、大会では相手がそれをしてくるかもしれないわけで、そうでなく自分の仲間だけで囲って勝たせてもらうとかビデオを作って配布するのなら、東京まで出て意地悪なシゴキを受けることは無いと言うか。

非協力者とは戦わないといけないが、目指しているものがガチなのか演舞や殺陣やスタントのたぐいのカッコいい試合なのかみたいなところに於いて、極めると両者が一致すると信じていたから情熱を注げた、注げてきたというのが答えとしてあるんだろう。

俺は多くの時間を対戦よりもコンピュータ戦とひとりでの研究に費やしてきた。ゲーセンで対戦している時も家でトレモで研究していた。それをゲーセンで披露すると、誰かが見て喜んで、そのサイクルはそれで回っていたのだが、それをネットで東京に集めてビデオにしてコミケで売って儲けた奴らみたいのをやっつけたい、それもゲームの大会を彼等が開いているので強くなって荒らして勝ってやりたいというのと、勝ったらビデオをかっこよく編集して配布して欲しいみたいな他力本願な所が矛盾しているんだよな。

彼奴等は自分たちがかっこよく見えて儲かるためにイベントを開いて機器類を調達してやっていて、ゲーム内のネタだけこっちがタダ取りされているみたいな格好になるわけだから。

それでも、誰が見ていなくともただ純粋に上手くなりたいとしたら、ひとりでコンピュータ相手にもっと上手く撮れるようになるか、自作自演の殺陣を作って友達とふたりで格闘ゲームビデオ作家みたいな役を取るかという二択になってくる。

俺はYouTuberとしては失敗していると自分では思っている。ゲームの動画の再生数は多くて300回くらい、ギターの弾き語りや自作ゲームのプレイ動画が格闘ゲームよりちょっと多い。

つまり「人は自分が期待するほど自分を見てくれないが、ガッカリするほど見ていないわけではない」という新書のタイトルにバシッとハマるあたりが現実かなと。

まあ、上手く行った時をビデオに撮ったりデキレースで大会優勝と同じ動きを真似ることは出来ても、ビデオのひとコマより小さい単位でもっと精密にトッププロは動いているだろうな、自分もそうなれるように精進しようと昨日思ったら、今日は昨日ほども上手く行かなかった。

テレビでは藤井新棋聖の快進撃が報じられているけど、歳的には俺はもうこれから下り坂なのかなと不安になる。それは歳を食ってセロトニンの分泌量が上がって脳が変わるからか、貯金とか安定の立場が出来て勝負以外のことに関心が行くからか、衰えて弱くなるからか、ただ今までの記憶に満足して研鑽をやめるからか、何なのかは分からないけど、これから自分でそれを体験していく中で勝負に対するこだわりを捨ててもゲームにこだわれるかみたいなとこ。

勝たないと仕事がないプロと比べて俺は負けても失うものなど無いはずなんだけど、自分の気持に問うた時に最初にも書いたけど、人間関係のダメな部分をゲームで勝つことを自分に課した条件としてふんぞり返ってきたわけで、負けたら対人関係の問題が山のように鬼のように今までの人生の仕返しになって返ってくるのかなと思うと、まだわざとは負けられない。

出来ることなら勝ったところをビデオに残して負けているところは誰にも見せないようにカッコ良くやめたかった。そのためにアメリカで勝った後に自殺も考えた。そうする人が多いとも聞いた。それでも先を見届けるために命だけは置いておこうと思ったのだ。

その選択を悔いることがないようにこれからも生きていきたい。