競争について考える1日であった

丸1日を考え事に費やした。

 

俺は多くの時間を格闘ゲームの研究に費やしている。

もともと、対戦型なので競争ではある。

いちどは流行を過ぎ、下火になってからひとり取り組み続けた。

ファンが作ったコミュニティなどで何度かブームが来ているが、基本的に俺が遊ぶのは最初のブームである1990年代の作品ばかりである(その作品群の集大成がカプエス2だ)

俺は今ではゲームに取り組むことに競争意識を持っている。

 

賢者は競争を避けるらしい。

 

現代社会は経済競争が基本なので、競争を避けるためにはニッチ戦略と言って流行を避ける競争のような別の競争が発生し、一定の売上があると競合される恐れも出てくる。

どちらかというと自分は勝てると思っているので弱い獲物を見つけて競争を仕掛けるタイプであり、それが競争を嫌って独自性を持ったニッチなら丸かぶせて食ってしまえると考えていないだろうか。競争を避けるのではなく、競争を避けて生き残っているものを探してぶっ潰す。

もともと企業にいた人間ではあるが、競争して駆逐した相手が社会保障で守られる世の中なら競争で勝つことも結果多くのものを食わせるという発想に転化される。つまり企業を組織のリミットに捉えると自分たちが勝って残りは国に任せればいいわけだが、公務員的な目線を持つと国民の中で稼がない人々全員を売上のない平社員に見立て、生産性を上げなくてはならない。

その先に待っているのは日本の国家としての勝利であり、現代のグローバル社会においては国債循環型社会を目標としているので、競争して勝った場合は負けた人の仕事も結局は面倒を見なくてはならないことになる。この矛盾を競争に集中することで一旦忘れることが出来る。

 

そのためにゲームをしている。

 

もともとゲームは退屈な時間を有意に過ごすためのものである。それとは別に戦争のシミュレーションとして実際の武力衝突による人の命と物質的な資源を消耗すること無く軍事を有利に進めるためにもゲームは研究されてきた。

戦争の不安が無いのなら、漫然と時間を潰す娯楽としてのゲームが競争の緊張を緩和する、つまり休憩の意味をもっているという側面は見逃してはならない。

疲弊しているなら、簡単なゲームで休まる。

 

いいんじゃないか、ドラクエ

 

ドラクエに競争を持ち込む人もいる。

これはこの論理の流れから来ると、兵士の休憩所でのレクリエーション中にケンカをするような迷惑行為に思える。喧嘩したいなら、対戦型でやれ。そのために一騎打ちの格闘ゲームがある。団体戦ゲームでのケンカは従軍組織全体の疲弊を生む。つまりケンカのために後方調達が必要になると兵糧を余分に消耗することになる。

繰り返すがケンカがしたいなら当事者同士で解決できる1対1の対戦型を選べということ。

 

これはカプエス2の全国大会に俺が自分ひとりで挑まずに関西Kグルとして広く人を巻き込んで得たひとつの教訓である。MTGのジャンドにしてもそうだ。団体で抗争して戦果を収めても、結局はその勝者と敗者に実質的な富の分配はなく、消耗が続き、個々人がプライドを賭けて個人戦で決着するまで競争は続いている。

 

戦う以上は戦果を収めたい。誰相手に何の競争を仕掛け、何を得ようとしているか。そこは前近代的ではあるが、物質的な豊かさが第一義だろう。そのためにストリートファイターIIの台に個々人が100円玉を入れてしまっては戦が長引くほど店ばかり儲かって兵隊は弱る。みんなでプレステで遊び、それがドリキャスでもサターンでもスーファミでも良いのだが、ゲーム機は小銭を守る武器になる。すぐに競争を仕掛けて勝敗を急いで繰り返しの戦闘をして疲弊するよりも、皆が家でゲームする余力があるならば暮らしの中にゲームを取り込み、それぞれに研鑽する。そうして出来た貯金の総量が軍資金である。

 

まだ、その軍資金を持ち合わせて何かしようとは企てていない。

精神的な豊かさは物質的な豊かさの上に初めて積み立てられるものである。だから精神的な豊かさを求めてゲームで競争するのは参加者全員が少なくとも物質的に満たされた後に回すべきで、家に武器がスーファミすら無いところから戦闘で100円を取り上げるべきではないとも考えている。

なので、スーファミを持っていて鉄拳7のためにPS4を買うお金がなくて100円で遊ぶという行動と動機については是である。

 

全員にゲーム機が普及して、それから個々人で研鑽して、途中で馬鹿らしくなったものが戦線離脱して、続けているものの中で直接対決が周囲から望まれ、軍資金が集まって勝者が祝福され、それでもまだゲームがしたいなら、それは対戦相手つまり競争相手の体は取っているが、同胞であると見做す。

 

そういう人の集まりだと思う。

 

それでもゲームの研究それ自体は対戦型で競争であると捉えることが前提になっている。