昨晩はひどく酔っ払った

晩飯は軽かった。エビチリ風のチリソースでチキンを煮たものと茄子の煮物と「う巻き」を巻いた巻き寿司と、それをつまみにビール。

 

朝食のパンにコーンフレークなどをスーパーに買いだめに行った。

お釣りが来る計算なので「しぼりたてストロングぶどう」を1本。

それと乾物のいかそうめんをひとパック。

 

家に帰ってテレビでトコロさんの朝までハシゴの旅を見ながら缶チューハイをプシュッと開けて、三本目の缶ビールをいかそうめんでちびちびと。

 

 

酒がまわって何故かドラクエVIIをしたくなり、夜中に最初から冒険の書を作る。その昔に一度クリアしているのだが、独り暮らしをしていた時に家に上がり込んだ創価学会の人にソフトとメモリーカードを貸してた頼まれて渡すと二度と帰ってこず、喪失感に苛まれていた。旧来の友人にその話をすると「普通は貸さないよ、ウソ付いてるんじゃない?」と詰め寄られる。

 

何故か、小学校の頃から俺はドラクエを取られがちである。他のファミコンソフトと違ってドラクエにはセーブといってカセットの中に冒険の記録が残るようになっていて大事なものなのだが、人がクリアしたものを借りると自分で解いたかのような証拠になるということで、解き終わったドラクエというのが証拠品として他のファミコンより高付加価値で扱われていたのだろう。そして俺はファミコンソフトを300本以上所蔵しているコレクターなので、家に来た泥棒が1本くらいと狙うのがドラクエなのだ。

ROM版の悪魔城ドラキュラやサマーカーニバル烈火のほうが売価は高いが、ドラクエが狙われる。「300本もあるんやから1本くらいいいやん」とか「全部持ってんのになんでドラクエなん」というのが彼等の口上なのだが俺にとって大事なのはドラクエで、他の299本を盗まれてドラクエだけが残るほうが案外幸せなのかもなと今では思っている。

だから、またドラクエVIIを最初からやってみようと思ったのである。買ったのも2本目だ。

 

酔っ払いながら、遺跡の中をさまよい歩き、気付けば2時間が経っていた。昔は解けたのになと諦めそうになりながら、考えると子供の頃の解き方って選択肢の総当たりとか、抜け道探しは得意でもゲームの中の登場人物キャラの会話をまとめあげて物語を想像するという部分は弱かったと思う。だからストーリーの話を友達として噛み合わないとか「本当にやった?」と疑われることも合ったのだが、画面に出ているのは映像と細切れの会話なので友達の吉井くんが紡いだと思っている物語と俺の体験した町の裏側の隠し階段を会話より先に見つけてしまうドラクエではストーリーが異なってくるのだ。

そう考えるとセーブデータが無くなっても俺自身の冒険の記憶はモノが無くなった喪失感と「証拠がない」と迫られた精神ショックから記憶に鍵がかかって取り出せなくなっているが、ちゃんとクリアしたよな、と少し落ち着いた。

遺跡の謎をとき、いよいよ石版の地図の最後のピースを集めて、というところで教会で冒険の書を記録して昨晩はそこまでとした。お父さんの漁が大漁で幸せな街の雰囲気。

ドラクエというのは戦闘と謎解きの試練があるけど、街にいるだけでも居心地が良い物。

それを勝ち負けで捉えて「ソフト全部持ってる子がクリアもなんて勝ちすぎだ」と左のナゾ論理で責められても、それでも人からモノ借りて返さないほうがやりすぎだと思うのよ。いっぱい持っててもひとつひとつ大事なものとかあんまりいらないものとか俺なりにあるんだ。