中学くらいで習った「プロ」の定義に対する最近の理解

俺はアメリカではプロの格闘ゲームプレイヤーになったが日本では無名である。

中学くらいで英語の先生が「アメリカでプロとアマチュアの違いはそれでお金をもらえるということで、1円でも稼ぐとプロです」と言っていた。まあ、1セントとか1ドルと言うべきんなんだろうけど、そのときは「ほふーん」と思って聞いていた。

しかし、日本でプロと言うと「かならず勝つ」とか「それで生計を立てている」というようなものすごいイメージが付くだろう。

この格差が何なのか、ずっと分からなかった。「アメリカに行って賞金獲得したからアメリカの定義ではプロなんだ」と頑張っても日本ではウソツキのような扱いである。

これは単に意識の違いだけでなく、経済や社会の仕組みの違いから来ている。

先進国ではベーシックインカムを導入している国もあるが、アメリカでも社会保障で暮らしている人は多く「生計を立てる。そのためには労働が必要である」という意識を持っているのが日本人で「生計は社会が保証してくれる。そのなかで好きなことをする。好きなことで1ドルでも儲かればプロである」というような意識の違いが内在的にあるはずなんだ。

つまり「日本では好きなことを仕事にするのは辛いから会社づとめして趣味でやったほうがいい」みたいのも、いわゆる正社員のメリットが大きくて自営業より社会保障が手厚いからである。だから「100万円くらい貯金できたら、それで食える国に引っ越す」みたいなのも合理性はある。

シアトルで成田行きの飛行機に乗る時、20人のアメリカ人に見送られ「もう、アメリカにずっと居てもいいのに、何故帰るんだい?」と問われ「会社を休んでいるし日本でローンを組んでいる」という話をした。人生で一番後悔した瞬間かも知れない。日本でローンなど組まずに責任のないバイトのままならアメリカでずっとゲームが出来たのかも知れないと思った。

今俺は正社員だった頃の社会保障と親父の稼ぎで食っている。ゲームはプレステで好きなだけ遊べるが、相手はいない。ゲームに相手が必要であるという考え方も日本では近年こそネットゲームが流行ってきているが、帰国当初は分からない人のほうが多かった。

「プロである」みたいなことも自意識の気負いが無くなった。アメリカのことを理解するのも大事だが、自分の国である日本のことや国語に対するもっと深い理解も大事だ。日本ではゲームで賞金を賭けると賭博は違法なので、ヤクザに頼って隠れてバレないように、あるいは方の目の抜け穴を通って賞品で法に触れない額のものを貰って換金するとかしないといけない。それでは生計を立てるのは難しいだろう。現実的な落とし所がスポンサー制であり、それが会社員をしながらゲームを趣味とするのとどう違うのかと言うと、ゲームをすることが仕事として認められたものの、それを認められる人がほんの一握りでそれを巡って厳しい無益に近い競争をしなくてはならないという芸能界の悪いところを持ってきたような世界が待っている。

その世界はやはり旧態依然として労働の義務があり、納税によって支えられている政府が大きな力を持ち、国益とならない生産性のない事業では労働と認められず、日本でプロと言うとそれで生計の立つ何らかのカラクリに組み込まれた人のことを言う。そのためにはその座を巡って厳しい競争があるという振り出しの国民認識に戻るのである。