今日は1日まったりと

日曜朝のTV番組「シューイチ」から「グッと地球瓶」に「所さんの目が点」

昨晩も「僕のヒーローアカデミア」に3編分割の「名探偵コナン」の謎解き回。

それに夜中のドラマ「コントが始まる」の劇中人物に自分の過去を重ねてみた。

そうしているうちに、ふと子供の頃に姉が病気になって天理の病院に行ったエピソードなど、いつからか出来ている母親の悪いイメージも正しい記憶をたどれば間違った解釈だと思うようになってきた。まあいま一緒に住んでいる父親には反抗心を持っていた頃よりいいイメージも強くなっているが、なんていうかな。小さなほころびから亀裂が入ってメチャクチャになっていったけど、もとは愛のある家庭だったように思えるし、その源泉となるものが爺さんが存命の時の無尽蔵のカネだったのかなと言う気はする。新聞の長者番付に載ってたしな、ウチ。

だけど爺さんの入院から葬式、相続の間に俺の知らない大人のやり取りがあって婆さんが元気な間はまだ良かったが痴呆になってからの介護疲れとかもあったし。母親が出ていって婆さん施設に預けて俺が病気になって帰ってきて弟が出ていって、それで俺が残された家の資産を何となく分かってから皆がチョットおかしなお金の使い方をしていると思い始めてオヤジのものになっている土地に姉が義兄さんとこの家族で住んだら良いんじゃないかと提案したら、相談なしに親父がお兄ちゃんの言は絶対だみたいなことで話を進めちゃって姉も訳がわからないまま不満を持ってそうしていたみたいだけど、姪が家の近くの高校に合格して週2回の親父との外食で食費を浮かしながら美味しいものを食べて、昔のような贅沢ではないけど月並みな世帯のケチケチした暮らしをすれば家族全員なんとかなるというところで落ち着いてきたと思う。

昨晩はそんな姉の作ってくれたお好み焼きと焼きそばを親父がポリ容器の弁当箱でもらってきてそれを食った。

まあ、俺は経歴に傷があるのだが、そのためにエリート街道をもし直進していたら関わることも少ないであろう貧しい社会の人々と関わり、お金やモノを取られることもあったが貧富の差を考えるとそれも些細なことで、互助的と言うかもっと分かりやすく持ちつ持たれつの助け合いの輪を自分たちの家族にもつなげたら。といいつつ俺が義兄さんとケンカをしてしまったが。

なんかなぁ。人間どこか距離のある他人同士のほうが助け合えて、あまりに近くて力に差があると甘え合いではなく一方的に甘えてしまうのはそれが俺の性分なんだけど。

あとは俺が家をなんとか片付けないとナーと思っているくらい。まだまだガラクタが多いが。

そうそう、あとタイタニックな。アレみて家族みんながウチを沈みゆく船に例えておかしくなっていったような気もするんだ。沈む船の上でトランクいっぱいの紙幣は役に立たねぇみたいな。いや日本は船じゃなく島でちゃんと地面あって、お金も使い方間違えなければ持っていて価値あるものだから、みたいな考えは俺がお金を受け取る側の貧しい暮らしに落ちてみて周りの人から少しづつ学んだことではあるよな。それで親父と仲直りできたし。

俺も俺でゲーム投資といういちばん訳のわからない使い方をした張本人だからな。

将棋ベーシック改のBitBoard周りがひと段落した

昨日から取り掛かった改造がともすると改悪にならないかと悪夢にうなされたが。

前々から手を付けたいと思っていた箇所ほとんどにテコ入れをして結果うまく行った。

デバッグの際にバイナリダンプを出したが2進横1列では読みづらく将棋盤とちょうど同じ形の9マスのバイナリダンプを作ってみてそれからVBで"1 << pos"などと書くと暗黙の32ビット型変換が働いてビットが溢れているという仕様に気づき明示的64ビット宣言で解決した。

昨日はここまでやるならVBに拘るよりC言語のほうが返って近道ではと思ったが、今日の細かい修正のために視認性のよい画面を考えたら簡単に画面が作れるVBの良さを再確認した。

 

ところで、そうこうしている間に親父のところにコロナワクチンの予約関連の通知が来ていて、どこに電話しても既に今回分は予約終了とのことであったが、どうにも郵便局と住所の関係で同じ日付で郵送されても郵便バイクの配達順で着順があり、ウチは1日遅いと親父がゴネていた。

 

そのことと直接関係あるわけではないが、命の選別と国家について考えていた。経済に市場原理といって競争がある方が自然の形に近いとする考え方があるが、人間同士は自然の中で生存競争するとしても肉食の哺乳類や天災とかウィルスなどと戦うために群れをなして狩猟や工事や清掃などを手分けして協力しているのが原始時代からの自然の形で、同じく現代社会での競争と言っても同業他社とは競争するかもだけど基本的には同じ会社とか取引先と手を組んで経済活動をするわけだ。その上で会社に属しながら国家に属する国民でもあり、国というのは外国があって始めて成立する境界的に出来上がり精神的な帰属意識に重きをおいた集団で、外敵から命を守るというお題目がなければただの年貢を取る御代官の集団だ。その点において誰の命を守るのかという点で「みんなの命」つまり国民であればすなわち命は守られるという約束が重要な意味を持つので医学も政治と絡めると命の選別というのはタブー視される。論理的な矛盾になるからだ。

学校ではその通りに教えてもらえるわけではないが、教えてもらったことを教科や学年の垣根を取っ払って全部つなぐとそういうことになると俺は考えている。

その上で、しかし住所や着順で命が決まるのは手続き的な問題として、本当に命の選別はたんに憲法との論理的整合性だけで考えてよいか、もっと別な考え方はないかとも考えた。死にゆく爺と可能性のある生まれたての子供なら、基本的に若いほうが優先されたりするよな。

だけど、人間の脳細胞は年をとると減るが反対にシナプスは増えるということを脳をもして開発されたと言われる電脳コンピュータに照らし合わせるとバイナリがゼロばかりの新品のコンピュータとゼロの脳細胞が1のシナプスと絡み合って何らかの意味を成し、様々の仕事のできるソフトウェアが搭載されたコンピュータがあるとして、それを可能性が無限にあるからと新品のハードウェアが同じでゼロばっかりのコンピュータと交換しろと言うと詐欺に思える。

だからといって、爺を生かすために自分の命を投げ捨てられるかと言うと生物は大抵は子供の方を守る。寿命の問題からだろう。しかし樹木ならどうか。自身から抜け落ちた葉っぱや果実も腐って土となって根から吸い上げる。

まあ、元々がタブーな話なので掘り下げたところで異端に見えるだけかもだし正論で返すよりもっと優しさみたいな話で丸められる問題だとは思うが、考え方のひとつとして書いておく。

将棋ベーシック改は多分もうすぐ生まれ変わります

かなり大幅なテコ入れをして思考時間は縮んだけどバグを沢山埋め込んだ。

というか、中枢部分を改造したので対症療法的なデバッグコードが全部もつれた。

それでも何をしているかと言うと他のプログラムは皆さん強いけど自分には何が出来るかわからないで悩んでいたところから、自分に出来ることの範囲だけで小さくまとまるのではなく、殻は破れたという感覚があったのが収穫かな。

さ、ブログ書いてないでもうひと頑張りしてみようか。


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