自分の絵を

画家ではないのでid:karmenには自分の絵が無い。
誰かの絵を真似て書くことはあってもid:karmenらしさがない。
たくさん描くようになると、その人らしさは出るだろうか。
テーマを決めて書くと一貫して同じような絵にしなくてはいけない。
そういうことが、その人の画風というように言われるのだろう。

マルスをもう一枚描いてみた。
少女漫画のような絵は正しいデッサンと比べて頭が大きい。
それで人物画のように描くと髪のボリュームが無くて貧相になる。
マルスも王子だからキャバクラ嬢なみにヘアセットさせようか。
もうひとつ、えんぴつデッサンだと人にほめられることは時々ある。
しかし、彩色する上で線をハッキリさせていくと、
鉛筆のやわらかさで何となく上手に見えていたものが消える。
よくノートにシャーペンで絵を描いていた。
これからはペンを入れても上手に見えるように腕を上げたい。
油性のロットリングを使っていてアラレちゃんの鳥山明と同じ。
道具選びも考え直した方が良いのかもしれない。

ファイアーエムブレムの魅力はキャラクターにある。
ゲーム画面に出てくるキャラクターは顔と立ち絵を持っていて、
ファミコンのROM容量に無理を利かした大きさの絵だと言える。
ぷよぷよ」を企画したゲームクリエータ米光一成さんの話。
米光さんはゲームについて自身のブログで自分の考えを出せる。
その米光さんのアシスタントをしていた方がこう言った。
「ゲームの面白さの本当の核のところはプログラマーが決める」
これは米光さんが脚本家でプログラムは人任せのせいだと思う。
CMなどの映像を手がけるプロダクションの社長と話したとき、
「絵はいくらでも出せる、けれど大手と組むと仕切れないから、
プログラマーを2、3人雇って自社開発のゲームを出したい」
フリーウェアを公開しているプログラマーの方と話すると
「プログラムはひとりで出来るから絵を描いてほしい、音楽も」
などと言うから、好対称で面白いなと思ってしまう。
技術力のあるゲームメーカだとゲームの台から作ってしまう。
画面が動かなくても座るだけでメカのコクピットのようで楽しい。
絵が大事かプログラムが大事か天秤にかけて考えるようなのは、
パソコンでゲームを出す小さなソフトハウスの考え方だと言える。
ROMの容量が大きいと絵も音楽もいくらでも入ってしまう。
プログラマーは達人がひとりいれば充分で時にアシスタントが入る。
そこに絵を描く人間はどれくらい入るのか。
ここが大作か小作かの違いを生む。
そのふたつに比べると音楽は比重が小さい。
音楽はひとりでゲームを掛け持ちできるくらいの負担のようだ。
そうすると、スタッフの割合は大規模になってもあまり変わらない。
ネットゲームだと通信の問題が出て来てプログラマーは増える。
そうしてもプログラマーの数が絵描きの数を超えることはない。
こうなると誰かひとりが面白さの核を持っているとも言いにくい。
高速CPU大容量ROMの時代ではあるけれど、あえて小規模に、
小人数のゲーム開発をしている会社もまだまだあるようです。
面白さの采配や利得の問題があったりするんだろう。


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