中野さんをもう1人

コンピュータソフトの仕事をしていると文書を読む機会が多くなる。
プログラマはソフトを改修するときにソースコードという設計書を読む。
ソースコードには機械の文法に合わせた実装部と自由な解説部がある。
解説部は一般的にコメントと呼ばれ、日本語での注釈を入れる。
このコメント部に制作者や改修者の名前と日付を入れるのが常識だ。


コンピュータ業界は若い人が活躍出来る業界と僕が20代の頃言われた。
しかし、20代の僕の仕事はほとんどが前任のプログラマが書いた
ソースコードの改修ばかりで、創造性みたいなのは発揮出来なかった。
若いの定義が20代から30代、40代に移行した後の業界なんだろう。


そんな中で、ある会社で薬局向けのコンピュータの保守をしていたとき、
その会社のソフトの原型部のソースを読むと全て中野さんの名前入りで、
しかし会社の中に中野さんの席は無く、どんな人か気になっていた。


その会社で仕事を受けてから約半年で、僕は請けた仕事を全て終えた。
コンピュータソフトの値段というのは単価が制作日数を元に計算される。
だから簡単な仕事でも時間をかけて値段を水増しする業者もあり、
その価格はほとんど制作者の言い値になっていた時代があったらしい。
何千万と言う投資をしてソフトが完成する前に計画倒れというのも聞く。
いろんな人がソフト開発に取り込んで自然淘汰的にいまの会社がある。
生き残った会社のソースコードというのは後任からみても出来がいい。


僕がその会社を去ることになった月に中野さんが出向先から帰ってきた。
中野さんの姿は僕の席の長机でいちばん偉いマネージャーそっくりで、
同一人物がそのまま若い姿と年を食った姿で並んでいる印象を受けた。
中野さんは出世してソースコードを書かずに部下の仕事を見ている。
そして中野さんが居なくなっても、そっくりの姿で仕事をする人がいる。


あまりにキレイなオチがつくと作り話のような印象になるかもしれない。
しかし、長く残る組織にはそれ相応の新陳代謝のような機能がある。
あるいは僕が出会った奇跡的な偶然なのかもしれない。
椎名林檎の歌にもそんな歌詞のヤツがあったような気がするんだ。


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