ファミコンディスクシステムの悪魔城ドラキュラは寂れた洋館の中に潜むドラキュラ伯爵をムチと十字架とニンニクで滅ぼしに行くバンパイアハンター・シモンベルモンドの戦いを綴るゲームだ。(ニンニクが出てくるのは二作目だろ、という細かい突っ込みはしない)
このゲームはファミコンのアクションゲームに体力制やアイテム制を定着させたんじゃないかと書きたいのだけれど、スパルタンXにも体力制あるし思い過ごしかも知らんな。すくなくとも僕が受けた影響は大きく、また忍者龍剣伝と言うテクモの三部作忍者アクションなんかは明らかにドラキュラの影響で出てきたゲームだと思う。
自分でゲームを作るようになってからレトロゲー好きのS氏からPSPで色々のドラキュラが詰まったリメイク版が出ているのを僕が買わないでいたので、そんなヤツはもう昔のお前とは別人だ、友達じゃないというようなことを言われ、ゲームクリエイターでもお客さんからのイメージを保つためゲームを買うタイプの人と勉強のため売れ筋だけしか押えない人、色々いますが、そんときは生活を維持するだけで厳しくて趣味のゲームを買う余裕が無くって、裏切るような事をして悪かったと思い返してます。懺悔。
ドラキュラのファミコン版はどうにかモノの形が分かる程度の絵柄なんだけど、音楽に関しては世界観と言うか空間と言うか、独特の雰囲気があるのよな。これはセガサターンが出る頃までずっとそう。僕はゲームボーイアドバンスのドラキュラ好きだな。本体同時発売だったのよ。ゲームクリエイターにも色々の人がいて(繰り返し)「僕は仕事でゲーム作ってるけど遊ぶ人じゃないから」みたいなスタンスより「好きで気付いたら業界人で役職的に隅っこだけど何々社のゲームが好きで意識して作ってる」みたいなスタンスの人がゲーマーに受けて、そのよしみで三万本しか売れないタイトルでも確実にお客さん拾ってる人も居て、それもひとつの商売と言えばそれまでなんだけど、自分がゲームを作るようになって自分の中の好きなものが崩れるとは思っても見なかったです。修理不可能。
それで話のオチは考えてないながらも、コナミの8ビット機の音楽を集めてみて、そこからイメージを膨らませて何かにならんかと思案してます。ドラキュラのお化けの存在感て粗いドットの中間色から読み取るときの想像による補間がけっこう重要だと思っていて、そのへん粒度の細かい映像にするなら半透明色を上手に使わないといかんのかなとか。最新ハードでもわざと粗い粒度で懐かしいゲーム感を出す手法もあるけど、ノスタルジーが載らない若い世代からどう見えてるのかとか、考えるとそればっかりもできないです。
とまあ、アレコレ考えるより、ゲーム産業にこだわらず稼げる仕事について生活のゆとりを作ってゲーマー同士ゲームで遊んで語って制作サイドは専業の方の仕事を信じるのが幸福な生き方のひとつかもしれないです。近況としてはゲームソフトは買うだけで消費行動として安心して遊ばずに置いてある積みゲーが続いてます。
話の軸がブレてますがドラキュラだった。あれくらいの世界観を構築するクリエイターの感性て何だったんだろうと今にして思いますね。プログラムや絵を覚えて何が描けるかって考えたときコナミのあの世界観は今なお遠いなと。実務的制作以前の構想段階に置ける企画力を今の自分の実力からすると、どこから何を持ってきたらドラキュラの模倣でなくドラキュラ並みの着想になるんかなと、そういうことを題材に制作者インタビューとかあったら読んでみたいです。
- 出版社/メーカー: コナミデジタルエンタテインメント
- 発売日: 2010/07/15
- メディア: Video Game
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