音楽のちから

日テレの歌番組をずっと見た。


俺の親父は長らくミスチルが嫌いで「あんなヤツらはどさ回りの稽古さえすれば食って行けるんだからラクな仕事だよな」などとクチにしていたが、俺がギターやシンセサイザーを練習するようになってからは、そういう事は言わなくなったし「言わなくなったね」と振ると「いまどき場末の酒屋でも通信カラオケくらいのもので、どさ回りに行く先もないんだろうな」と世良公則を見ながら返してきた。


マーティンフリードマンはなぜ日本にギターを弾きに来ているのか。


関ジャニ8が楽器を演奏していて、俺だってあのくらい、と思ったが以前に家撮りした斉藤和義の「やさしくなりたい」を聴いてこりゃだめだと。ギター3本でカバーしてたから1本の弾き語りと比べるのも仕方なしではあるけど、1本分を集中して共同作業をしないと、初心者が1人でアレンジしてやろうとしても残念な結果にしか成らない。ニシエヒガシエを練習してオーディションを受けたとき、選考バンドのドラムさんは俺が自身なさそうにしていると「普通のレベル」と言ってくれた。ギターだけに集中すると結構出来るのと、お世辞というか慰めというかそんなのもあるんだろう。キーボードさんからは「リズムさえ押えれば細かい音は俺がキーボードで弾いてやるから暴れろ」と。実際にテレビ放送なんかでもギターは当て振りで打ち込みが鳴っている事はある。しかし自分がギターを掲げてただの木偶になるのは少し寂しい。ギターよりエレキベースが向いているとは方々から言われる。しかしそこは珍しく意地を張るポイント。ギターという楽器の名前の響きが俺にギターを持たせる。


ゲームの仕事が決まってからギターはサボっているというか忘れていた。テレビの関ジャニを見て色々そこそこ弾けるよりも、1曲の色々の音のうち1本のラインを間違いなく守れる人のほうがステージでは必要とされるんだろうなとは考えるようになった。男前でギターを提げているだけで好い人もいる。そういう人は下手に鳴らさないほうが好い。しかし、頑張れと背中を押してくれるのは必ず年配のミュージシャンだ。歳を取っても偶像で居続ける人はどこか虚像に実像が追いついてくる部分があるのかもしれない。


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