確固としたものが無い


熱唱!ストリートファイターというストIIの曲に歌を入れた恥ずかしいレコードがあるのですが、ムエタイの帝王サガットの曲の中で「戦いの哲学!」と叫ぶところがあるんですよ。最近そうなってしまってるんじゃないかと。


ストリートファイターの何が楽しいって、対戦も勿論なんですけど、キャラのアニメーションが見たいと言うのがいちばん最初にあるんですよね。次々と倒すと新しい相手が出てきて、色々の技を繰り出す。その全て覚えてしまって、対戦で優劣を競うと言う段階に入ると、哲学への入り口はすぐそばです。


ボタンを押すだけでキャラクターが大きく動いて、小さな駒のようなキャラをレバーで動かすゲームより画期的だったんですよね。モンハンで恐竜が群れで歩き出した時もそうだったんですよ。ゲームとして面白いというよりは映像的にハイスペックなのがカプコンの特徴ですよね。


それでいくと、後続機というのは後輩が先輩のゲームの絵を直すだけだから、ゲーム性に哲学を持っている人はいないと思いますよ。ユーザーフレンドリーにクレーム対応してるだけなんですよね。少ないながらの業界経験から言って(ゲームメーカーに就職経験あり、と言うよりシステムエンジニアとして潜伏といったほうが正しいが)


ゲーセンのゲームで難しいヤツはお客さんに上手になってもらいたくて作ってるわけでもないんですよ。負かしてコンティニューさせたら収益が上がる。だから初めての人は負かさないと行けないけれど、次のお金を入れたら進んでもらわないとそれはそれでマズイわけで、そこまで難しくはない。そして続けて遊んでもらうためには絵や音楽に魅力が無いといけなくて、それがファミコンの登場で儲かりすぎちゃって迷走したゲームでも会社が建ったり、プレステの登場で儲かりすぎちゃって迷走したゲームでも会社が建ったり、スマートフォンの登場で儲かりすぎちゃって迷走したゲームでも会社が建ったりしたわけですけど(大事なことだから3回書きました)やはり狙いを持って作っているクリエイターと言うのは存在するんじゃないかと思うんですよね。


作ってみて当たったというのが現実で、それがどういう狙いだったか結果論として理屈をつけているとすると、その理屈から新しいものを作ろうとして上手く行かなくて悩みだしたら、それはもう哲学への入り口はすぐそこです。


考える暇があるのは豊かな証拠だし、いっそ本当に哲学書でも読んでみると面白いかも知れませんよ。


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