女神転生そしてウィズ


小学生時代のトラウマのひとつ女神転生事件。親父に買ってもらってロキを倒すくらいまで遊んだところで4歳上の従兄が親父にねだって俺の遊んでいるのを取り上げて俺のロキまで進んだパスワードをパソコン通信で自慢するという最悪の事件がありました。


大人になってから寝ている時にふと思い出しカセットは何とか手に入れたのですが、なんだろう。ミノタウロス倒すまで、また遊んでみて、えも言われぬ安心感に包まれて部屋に仕舞ってあります。


小学生の時にあのまま持っていたらエンディングを見れたかもしれないのに、取り上げられて中学ぐらいで「あれ、面白かったよなー」と言われた時には「あんなの何が面白いねん!」と、ねじれてしまった。本当は取り返して続きを遊びたいですよ。でもそれはストレートには表に出ない。小学校低学年くらいの事だからハッキリ思い出さない。大人になってからよくよく自分の深層心理を見つめようとして辿り着いたことなんです。


そして今取り上げられた現物ではなく新しいカセットをもう一度手に入れたのですが、ミノタウロスくらいまででもう充分だと思ってニコ動でエンディングだけ見ておきました。いま遊んでも面白いと思う部分とかったるくてやってられない長さ、理不尽さ、両面あります。俺は今でも女神転生の話は話題に上げられたくないところがあります。根幹に小学校の事件があったとは突き止めていますが、それでも何か複雑な気持ちになる部分は癒えていないのです。


女神転生を手放した俺に届いたのはウィザードリィというパソコンゲームファミコン版だった。小学校6年のとき対象年齢13歳以上と書かれたファミコンソフトを背伸びして買ってもらい、同じようなゲームでもっとディープなゲームだった。高校2年くらいまで時々出しては遊んでいたな。


同級生の女の子が家に遊びにきた時俺が親に呼ばれて用事をしている間にその子が勝手にコントローラーをメチャクチャに動かして、育てたキャラをダンジョンの未踏の領域に連れて行った、というエピソードを思い出してしまった。今にして思うと仲が良かったな。小学校6年というのは意識してても良さそうだが、俺はウィザードリィに夢中だった。


いまさら女神転生を掘り返しているのはトラウマと言うような大げさなものでなく、ウィザードリィドラクエも掘り下げ尽くしたあとの征服欲のようなものだろう。新しいゲームを買って遊ぶということに対する期待感より、子供の頃に最後まで出来なかったゲームの先はどうなっているかが知りたい。


俺は憧れていたメーカーで仕事をした時に資料として昔遊びまくったゲームのソースコードを読んでしまった。ソースコードの説明としてはカセットに流し込むデータの設計書(新聞風に)でプログラムは逐次実行型でなく設計書から実行形式に自動翻訳される、その翻訳前の人間が読みやすい形の言語で書かれているもの。機械語も読める人間はいて、そういう人は無敵なんだけど、改変の手間を考えるとソースコードの形で保管されているものは便利なのだ。


そのソースコードを読んだ時に色々の感情を持ったが、俺のいちばんの印象はガッカリだった。ゲームと言うのは業務プログラムより神聖なものだと思っていたし、容量の少ないゲーム機でスイスイ動くゲームは神懸かったプログラマーが書いたエレガントなソースコードだと信じていた。それにあやかれば俺の頭もクリアになってブーストされて俺も神聖なプログラマーに近づけると思い込んでいたのだ。


しかし、俺の書けるプログラムと当時のゲームプログラムは同じようなプログラムであった。容量を小さくするための小技では少しだけ勝っているかもしれないけれど「なんだ、こんなものか」という気持ちになった。ゲームの中にはデータしか無いのだ。夢や秘密はなかった。


良い歳してゲームの話しか出来ないのも考えものだが、何の取り柄も無い人と捉えられるよりは、ゲームだけでも詳しい人と思われた方がよいだろうか。たまには人目が気になるものだ。ゲームから離れたいというのも人目を忍んでのことだが、ゲームに詳しいと思われたいと言うのとは矛盾する。俺はいきなり生まれ変われるとは思っていない。


俺は小学校の時に女の子とウィザードリィでデートしたのだ。それを思い出すとなんだか浮かれた気分になってきたぞ。付き合ってくれた事はその子の優しさなんだろうなと。


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