36歳になりました

1000ピース 騎神来たりぬ (50x75cm)

1000ピース 騎神来たりぬ (50x75cm)


気付いたら昨日1月15日に36歳になっていました。


20代にアールブリアンで絵を買って3枚で合計すると200万円以上払ったのですが、同じような手口のアールビバンで78万円で売られていた天野喜孝の絵が3万円台まで落ち込んでいるようです。ジグゾーパズルだと2000円。どちらも銀座や赤坂ではじまって、だんだん出店場所を変えながら大阪日本橋にも店を出してオタク層も釣ったのですが、オタクが買ったものは何だったのかというと、自分たちが好きなファイナルファンタジーの原画は大人も認める素晴らしい絵で1枚78万円付く、ということを買ったわけです。それを買うと言う行為は自分の趣味に自分が納得するだけの値段を払うということが大切で、絵そのものやアドバイザーの女の子の話や、将来絵が高くなって儲かるみたいなことを思って買った人とはちょっと違うと考えています。俺は自分の好きなファイナルファンタジー天野喜孝に78万円出せる!という自分の背中を押す行為に金を払っていたのです。


まあ、それくらいしか若者に欲しいものがない、モノが売れない世の中の入り口だったんですよね。どちらかというと、ダマされた人よりアドバイザーなどの仕事をしていた詐欺師の人々は今何の仕事をしているのかというほうが興味があります。絵を買ったときの高揚感は今も覚えているので、振り返ってもそんなに勿体ないとは思わないですね。どちらかというと株で儲かっても欲しいものが無い今の方が惨めな感じがする。株を買う前は絵にかけたお金を株や不動産にしておいたらどうなったんだろうと思ったものですが。まあ、後悔はないです。退屈なのは毎朝会社に行くために起きなければならないことよりずっといいから。


「騎神来りぬ」も今なら3万円でも高くて買えないと思います。78万だから買えたんですよ。そういうものを持ちたいと思えた。そして若くてものを知らなかった。当時でもアールビバンで買わず画商から30万くらいで同じモノを持てるというのは知っていましたが、やっぱり高く買うという行為が大切だったんでしょう。株を買うときも安く買って高く売って儲けるということより、ゲーム会社の株を朝の寄り付きで買ったるという行為が自分の背中を押していた。俺はゲームが好きだからゲーム会社の株を高く買って市場価値を押し上げたいってね。


ちかごろは食費以外のお金を全く払っていません。そして俺にはゲームしか無いとも思っていない。振り返るとゲームの持つ役割は大きいんですけど、ゲーム会社の株を買う以上にゲーム業界にどうしろと言うものはないから。あとは遊ぶしか無い。


そこで天野喜孝の絵にときめかない自分ってのはもうダメだなと。スクエニ株でも買えるしブレイブリーデフォルトとかファイナルファンタジーXIVでも買えるんですよ。でも買って遊ぼうと思わない。笑ってこらえてジブリ支局とか「ごちそうさん」とか軍師勘兵衛とか見て面白いなーと思って、タバコ吸ってコーヒー飲むんですよ。独身貴族ですわ。


これ、若い時に結婚してたら子守りや子供の学費で遊んで何かいられないだろうし、実際に歳の近いのはそういう話ですよ。そう考えるとお父さんとして小遣い月3万てのと年収36万てのとではトルクが全然違うんですけど、ようするに誰かを食わすってことぐらいしか働く意味を見いだせないし、そこまで好きな人とか子供に託したい夢もない。心配なのはこのままもっと年取ると後悔すんのかなーって程度ですね。


親父の生きている間に孫の顔見せと喜びたいってくらいの気持ちはありますね。その子供の面倒を見続けられるかと先から考えてしまって無理だろうなーって諦めちゃう。結婚式16万円のCMとか高校無償化とかテレビで見ると、ああ、これなら俺でも払えるなと。金銭的問題と人間関係の問題があって、まあなんだろう。先回りのし過ぎだな、繰り返しだけど。ラクしたいんですよ。ゲームで遊ぶってことすら、やりたくないほどに。クエスト失敗とか見ても嬉しくないですから。


まあ、そういいつつオファーも無いプログラムの仕事を毎日コツコツ続けてるんだけどねー。ぼんやりとだけど、そのほうが将来のためになる気がしてやっている。充足感を追いかけてる。それでいくとプログラムは組んだ分しか増えないけれど子供は面倒見なくても成長する時期がやがて来るからな。そのへんを考えていない。自分や兄弟が親の面倒見てるかって言うと反対に今でも甘えてるとこあるからな。やはり手がかかるシステムよりやがて手を離れるシステムを考えなくては。


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