老朽化とか経年変化とか2000年問題

プログラムの義務教育化から数年経って、社会問題は解決したのかどうかまだ良く分からないんですよ。


デジタルは固くて馴染まない。だから擦り減らないから老朽化しないものなんですけど、銀行のシステムとか駅の券売機とか病院のコンピューターとか、数字でどうこうしやすいシステムは古いコンピューターでも業務に支障が無く、そのまま使われています。そのため技術者は買い替えとか修理の費用をもらえず後輩が育たないまま定年を迎えて、誰も内部仕様が分からないレガシーシステムというのが世に残されました。レガシーとは「太古の」という意味で、単に古いシステムを大げさに呼んでいるんですね。


俺はゲームが作りたくて情報系に進んだのですが、ゲーム会社から内定をもらえず、あってもなくても同じようなマイナーゲーム会社でアルバイトをしてから家から近い会社にプログラマーとして就職したんですよ。ゲーム会社ではプログラム担当で絵を描きたいと言っても「美術系卒業じゃないとダメ」言われてつまらなくなったから辞めたんです。


そして最初の方は設計事務所で当時の先端のWindowsVC++の開発部として仕事をしていたんですが、3年目くらいに課長と合わずにプレゼンでハメられて退職を迫られました。新しいパソコンに買い替えてもらうのをターゲットにメモリを贅沢に使うプログラムなのにメモリの少ないノートパソコンでプレゼンを始めて俺の担当箇所でハングアップするということをプレゼンでやられたわけです。課長はFORTRANからやってる人で最新のC++のほうばかり仕事をもらえることがつまらなかったんでしょう。部長が課長や係長を通さずに直接俺に仕事を頼む事が増えていました。それで役員会で俺の担当箇所が壊れるプレゼンをして辞めさせられたんだと。


それから俺はあちこちの会社に出向に行って古くなったシステムの補修を頼まれるようになりました。大手メーカーや公共機関のシステム部のなかには粉飾決済や脱税のために作られたシステム部門があって、みんなシステム部門に回されているのは実質的なリストラでパソコンを並べてあるから仕事をしているように見えるけど、実はほとんど遊んでいるという現状を目の当たりにしました。それでも機能しているのは定年退職した大先輩のシステムが平成の世の中でも充分な機能だからです。維持費はかからないのに予算は毎年当てられるので皆遊んでいたのです。


俺はその当時はテレビをほとんど見ていないでプログラムに没頭していましたが、ある先輩が「吉村作治がピラミッドの壁にかかれた記号をまた解読したらしい」というニュースを教えてくれて「なんで分かるんだ」思っていましたが、仕様書の無いプログラムを直接読んで分かる俺の能力は世の中からするとそういう風に見られるんだなと、最近分かりました。


よくSF小説とかで文明が滅んだ後の世の中で発掘した過去のオーバーテクノロジーを修理屋が使っているような世界観のものがありますが(作品名とか出せないで申し訳ない)今の日本も場所によってはそう言う状態で、またそういうSFが生まれるのも過去の欧米のどこかで似たような事案があったのではないかと思いますね。


プログラム義務教育化の効き目が出てくるには、もう10年くらい先になるんだろうけど、優秀な人は先端システムの方に行くだろうから、基幹システムの老朽化問題はあんまり解決しないんじゃないかと思ってます。だって面白くないんだもん。


そんでもUEI清水社長がLISPの技術者を発掘してトークショーに出すとか何とか頑張っているそうなので、全然違う角度から問題がポンと解決するかもという期待もまたあります。まあ、ファミコンばっかり遊んでた俺で出来たんだから、どっかに出来る人は生まれるだろうし、生まれなくても電車の運賃を変更しなかったら大丈夫なんですよ。


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