歩き昇竜賛否論

歩き昇竜が編み出された以降のストIIは俺は運で決まると思っているけれど、人によって抜けないクセなんかもあるから、クセ読みで差が付く部分も否定はしない。クセを読まれて決まっているゲームに、いつ読まれている本人が気付いてクセを抜けるか考えるとパッと気付くヤツもいれば直らない人もいる。しかし、自分で気付く以外に外から指摘を受けて直るパターンもあるので、一人でコンピュータとやっているより仲間と組んで互いに率直な感想を交換しているほうが普通は強い。


まあしかし、それ以上のことを深く突っ込んでも属人性のある論理になるから、まとめてどうのという統一見解は得られないと考えている。そして、そういう人知を超えた領域の巡り合わせを言葉にすると「運」という。


ストリートファイターの対戦が運で決まると言うのは、サイコロ賭博のような全くの運否天賦だという意味ではないものの、実力伯仲の場合の選択の正しさには正しいとする根拠が「相手の選択がそうであると言い当てた」という類のものになり、運ではなく選んだキャラの特性、コンボに代表されるコマンドの正確さ、反撃などの知識、さまざまの要因で勝負は決まる。


しかし、歩き昇竜のような技がある以上は様々の要因から運を取り除く事は不可能だから、そのへんがつまらなくて100円を賭けるに値しないと考えるようになってきた。もとから値しないかも知れないし、大勢の人にとってそうであるように、俺も勿体ないと思うようになったわけだ。


ストリートファイターはそれ以前のゲームよりキャラクターの絵が大きく、動かしているだけでも面白いものだった。動かして遊びたいから100円入れる、そしてゲームと言うと一人で遊ぶものだった人がゲーセンで乱入対戦で他の人と一緒に遊べる事に喜びを感じた。そのへんが初心。


この初心を忘れて対戦にのめり込むのはパチスロ中毒みたいなもんだと今では思ってる。自分がゲーセン通ってると「パチスロなんかと一緒にしないで欲しい、ゲームはもっと純粋なもの」と思っていた。その辺は立ち位置の変化からの意見の変化で、自分の陣地は誰しも攻めないわけだから、俺は多くの対戦ゲーマーを立ち位置を変える事で裏切ってしまったのだろう。


最初からストIIばっかりだったわけでもなくて、ストIIやって餓狼伝説やってパズルゲームとかシューティングゲームも遊んで、もちろんドラクエとかもやって、遊んでいる中でずっとストIIをやっている人のキャラの動きが機械みたいでメチャクチャ格好良いと思えた時があって、自分もストIIまたやってみて、そのレベルになるまでは面白かったけど、両方そうなっちゃったら運やキャラ差で決まっちゃうと分かるようになった←イマココ


そうすると、同じことずっとやるよりは何か変化のある事に興味が移ってしまった、飽きてしまった。だからといって、ストリートファイターを遊んでいる人を敵に回すような発言はいけないかもしれない。「結局は運じゃないの?」と言うと「そうじゃない」という意見もあるだろうとは思うし、その言い分を聞いて受け入れる余地はある。でも、納得するに充分な意見と言うのはまだ俺の元には届いていないのよな。


俺の実力が運で決まるところよりも手前までしか至っていないと思うところもあるけれど、先を考えると、今より上手くなって勝ちが確実になるなら取り組むモチベになるけど、それ極めても結局運だというところが論破されない限りは練習する気にならんかなと思ってる。そのへんは自尊心だよな。100円くらいなら賭けても良いけど、そこに自分のプライド乗せてるって思われるのはイヤだと言うか。


現場からは以上です。


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