数値モデルから見る現像


Forza(フォルツァ)というレースゲームを引っ張り出して遊んでいます。フォルクスワーゲンのゴルフでレースに参戦して賞金を集めてクルマを買い換えて行くキャリアモードというのがあって、それで日産のスカイラインGT-Rを買うことを目標にして遊んでいます。もし俺が病気しなかったらバリバリサラリーマン生活を続けて今頃の歳でちょっと無理すればスカイラインGT-Rに乗れてただろうな。でもまあ、その「ちょっと無理すれば」が行き過ぎたわけですよ。同じ日産でも軽自動車くらいを目標に行きていれば病気はせずに小さな幸せを掴んでいたかも知れません。でも、スカイラインGT-Rには乗れなかったけど憧れのひとつのゲームプログラマーは経験したしピアノもギターもいつのまにか少し弾けるようになってる。ミスチルのAnyを聴いて「きっと答えはひとつじゃない」と思うわけです。


さてForzaに話を戻すと1999年のクルマのほうが2005年のクルマより速度性能が高いと言うデータモデリングがされてるんですよ。ゲーム出たのが2006年なので情報古くてごめんなさいだけど、この新しいクルマのほうが速度低いのなんでかなと思ったわけです。それでクルマに詳しいウチの親父に率直に「なんでなの」と聞くと「燃費規制のせいかもしれんな」と言うのです。それをさらにGoogle先生に尋ねて燃費規制の実情を知って行くわけです。


さらにハンドリングの性能向上もモロに古い1960年式のクルマなら2000年のクルマのほうがパワステ付いてるからだろうと、簡単な数字モデルからクルマがどういう風に変化しているかという実像がぼんやり見えてくるわけです。


実像をプログラムにするときに現実から数字モデルに抽象化するのもなかなか難しい仕事ですけど、それが正しく行われて行くとたとえ不可逆変換になっても後から見る人が疑問を持つとエッセンスは残るものだなと思いました。


世の中火山の噴火でそれどころじゃないのかもしれないし、クルマを速くするより今の充分に幸せな生活が未来永劫続くことのほうが大切だなと思いながら、なんでもコンピュータの今の世の中にはデータモデリングの途中で欠落している何かが有って、それを着実に取り戻さないと国民の幸福度の水平飛行は難しいのかもしれない、劣化コピーでだんだん幸せがぼやけているのかもしれないと思う部分もあります。良いクルマに乗りたいと言う昭和のオッサン的な価値観も生きる目標くらいの効果はあるよなと。


お医者さんから許しが出たら親父の古いクルマでドライブしたいです。マイカーはまだ、ちょっと無理があると思うので。


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