ふと小学校の頃を思い出した。
ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んだ。
時間泥棒とは。何となく融資に来る銀行員を思わせる。
大人向けの新書よりも童話で身につける抽象的なセンス。
急いでいた分取りこぼしていたことがあるだろう。
みんなと一緒じゃいけない。そんな思いがあった。
低学年の頃に国語の時間で朗読した「スイミー」だ。
金魚が名産品の大和郡山市の小学校で
光村出版の国語の教科書には金魚の童話が載っていた。
赤い金魚の群れの中で一匹だけ黒い金魚のスイミー。
いじめられるが、それでも群れの役に立とうとする。
大きな魚が来たときにみんなで魚の形に群がり、
スイミーは目の役目をする。
そうして、大きな魚は恐れて逃げていったって話。
スイミーになりきった俺はズレていても平気だった。
六年生で木彫りの箱を作ってオルゴールを入れるとき
何故かオルゴールが選択制で
ひとつは学校の校歌。
もうひとつはビートルズのイエスタデイ。
みんなが校歌を選ぶので、俺はイエスタデイにした。
そこは、校歌で良かったんじゃないかスイミーよ。
イエスタデイは美しいメロディだが後ろ向きの歌詞。
意味もわからずその旋律の美しい響きに酔っていた。
今更になって歌詞を文字で眺めて和訳を読んだ。
昨日はイージーなゲームを遊んでいるように思えたんだ。