井の中の蛙はそれはそれで良い生き方かもなと

竹原ピストルのフォーエバー・ヤング

「あの頃の君にあって 今の君に無いものなんて無いさ」

この歌が胸にしみるのはあの頃の自分にしか無いものを思い起こすから。

高校の時に奈良県最強を自負した俺は夜行列車で東京に行き国技館で夢破れた。

国技館で会場中の視線が集まるのは大画面モニターであり、画面の中のキャラの動きで会場から歓声やどよめきが伝わる感覚を得られた。そのとき「勝つより沸かせなきゃ」と思って、その後の俺のゲーマー生活で「ゲーセンで立ち見の観客を沸かす」という心構えに変わった。

あえて弱いキャラで、コンボビデオのようなコンボをゲーセンでやる。というのは取り置き編集の歌番組より少人数でも生演奏のライブをしたいって感覚に近い。

しかし、ゲーセンで客を沸かしてもネットで有名になるのは配信している首都圏のプレイヤーばかりで「勝って結果を残さなくては」という焦りがいつしか芽生えた。

「沸かせる」と「勝つ」は部分集合を持つがイコールではない。それを完全に合体させたのがウメハラの背水の逆転劇になるのかな。

俺は自分でウメハラに嫉妬しているように勘違いしているが、実はそうではなくて古くからのゲーマー仲間に勝ちすぎて村八分を喰らい、彼らが俺の自慢を制するためにウメハラを引き合いに出すことにもどかしさを感じている。

俺は大阪ではけっこう上手くやれた。新しい仲間を作って難波や梅田のゲーセンでも勝って、北米には東京と大阪の仲間で遠征してフランスにもゲーム友達が出来た。

それでも、地元である大和郡山市に帰ってくるとそれらは遠い世界での出来事で、帰ってきたすぐは「こいつら井の中の蛙だな」とバカにしたものだが、例えばクジラが井戸の中で暮らせるかというと、多分餌が足りなくて窮屈で死ぬだろう。

蛙は海洋生物ではなく陸地に順応した両生類であるので、遺伝子学的には海で生まれた魚に手足が生えて蛙に進化したので井戸の中でも蛙は生きて行けているのだ。 

結局は「井の中の蛙大海を知らず」という格言を種にして奈良より東京のほうが偉いとか日本よりアメリカや中国のほうが大きいとか、そういう人口や面積での数量に変換して比較して優越感ゲームに勝ってきただけの話で、その思想体系が万人に通用するものではない。

まあ、大和郡山市は蛙ではなく金魚の町なので、金魚からコイキングに、コイキングからギャラドスに進化して、生け簀の中にいたものが成長してポケモンセンターに預けられたってのが話のオチ。


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