今日のポケモン(バタフリーを育ててみた)

1時間でニビシティに到達したのは良いがオツキミ山で詰まってレベル上げ。

制作意図を汲み取るとニビシティのジムリーダーがイワークを使うのでトキワの森で捕まえたキャタピーバタフリーまで進化させてレベル12で覚える「ねんりき」を使って攻略するように出来ているのかもしれない。

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というか最初のポケモンフシギダネにするとオツキミ山では詰まったりしないんだろうが。このへんポケットモンスターピカチュウ(赤緑とゲームはほぼ同じだけど最初に手に入るポケモンフシギダネゼニガメヒトカゲの3択ではなくピカチュウから始まる)ではバタフリーが「ねんりき」を覚えるレベルがレベル12ではなくレベル10になって簡単になっているようだ。なんかなぁ。

結局はバタフリーを育てるためにニビシティ周辺で1時間をレベル上げに費やした。ゲームを1日1時間にすると話が進まずレベル上げだけで終わる日もある。

関係のない話になるが、俺は子供の頃に親父の聴いているビートルズを聴いて育ったが、親父の世代においてはロックは自由の象徴であったようだ。しかし子供である俺にとって親父は厳しい親であり、その親父の聞いている音楽というのは抑圧の象徴なので、同じビートルズでも聴く人の精神においてギャップがあるように見られるってこと、他人からの指摘で教わったんだけど。

もし自分たちが子供にゲームを与えることがそれと同じ意味を持つなら怖いことだなと思う。ゲームで遊ぶことに理解のある親のもとで育つ子供はゲーム世界もまた親に管理された世界であるという感覚を持っていないだろうか。

ポケットの中の自由。ゲームボーイ。今思えば何というミニマムな自由なんだ。


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