概念的な理解と言語による説明(という難しいタイトルは無視)

高校の時に数学のテスト、証明題にアルファベットのa,b,c,n,x,y,zなどを使うのが気に食わず平仮名の「あ、い、う」を使って解答をしたら、それを使っている箇所全てに赤ペンで「アルファベットを使え!」の添え書きと三角と共にマイナス1点が記されて、結果問題の点数が10点位のところを3点くらいしかもらえないということがあった。

そこで不服に思い、結局は試験というのは学生を試す際に学生の側が教師に分かっているということを分かってもらおうと従っているに等しいと思い、抗うために白紙で出すとその学期は右上に大きくゼロ下二重線を赤ペンで記されて終わった。

担任は「あの先生にそれは相手が悪いよ」と諭そうとしたが、俺はかえってその厳格さが気に入って数学の証明題だけはやたら真面目に授業に張り合った記憶がある。

アルファベットが嫌なら漢字で甲乙丙を使うという手もあるが入試で前例がないことなども教わりながら、授業はほぼマンツーマンと化してどんどんマニアックな証明題になり、次の学期の試験は大学入試の前例にない数学教師の作った問題で予備校に通う同級生は全滅して学年平均点が40点になり、俺も丁度40点だったが真面目に勉強するグループから良くやったと褒められるのと並行して数学教師はPTAに怒られたと後で聞いた。

例えば理科や数学は外国語であっても概念的な理解が出来ていれば良い教科だと思っているけど、大学に進んだ後に論文を英語で書かないといけないとか先行論文が英語である場合なども踏まえて西洋式に馴染ませるために入試の段階から西洋式が使われているということは近頃なら分かるのだが、日本の学校なのに西洋式でしか教えていないことを当時は不服に思っていた。

そんな学生だった割にプログラマーを仕事にして随分と色々と英語に染まってしまったなと反省している。プログラムの話を夢中でしているだけなのに横文字でペラペラ喋る変なやつという印象を持たれたことも良く覚えている。スタック、キュー、ヒープとか和訳出来ていないな。変数、代入、論理和とか日本語にされている基礎部分があるのにちょっと応用をかじって横文字かぶれになっちまったのではないか。

明治時代に洋書がたくさん和訳されたおかげで日本語しかできないのに広範な学問の入り口に立てたという感謝をしていれば欧米から少し新しいものを取ってきた先行者利益を自慢と捉えずに社会に還元するために出来ることをするように成れなかったか。

コンピュータを社会で利用しやすい形にすることと、機能とインタフェイスをバカでも使えるように絞って利用手数料を取って儲けることとは方向性が微妙に違う。

確かにスマートフォンの普及はパソコンの普及以上にコンピュータの利便性を操作の分からない者に身近にしたが、そのためにクッソ高い電話料金で国民の生活を一時は圧迫した。でもまあ、最近はマイネオとかハンバーガーや牛丼の還元とか、搾取する金額は減っているけど利用者情報の取得で儲けているからなぁ。

飯を食うための生業としてのプログラマーでは無くなって、作ったものがゲームとくだらないブログですってのは。会社員時代のほうが良い仕事をしていたと思うなら、その仕事の続きを今からでも自分でどうにか出来ないか。

利用者から隠匿される技術としてのプログラミングってのは裏方としてお金のためという割り切りがないと俺には出来ない。そこは恩師と崇める先生だって親から授業料を取って暮らしてたわけで。

まとめるつもりがまとまらなくなってきた。従うか抗うかというのは互いの方向が向き合っている場合に出る言葉であって、少し互いに斜めの角度でも同じ方向を向いていれば従うか抗うではなくて合流するか反り合うかって考え方になるだろう。俺は今たぶん高校の時に教師に抗ったような方向を持つものを方向転換させようという考え方に近づいている。

治し甲斐のあるバカが可愛くて仕方ないが、それを肯定して尊重するという態度とは反発することになる。それはつまり教育ってやつなのだろうな。


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