時が経つのが早い1日だった気がするが

いつのまにか夕食前であり、今日は戸田恵梨香ちゃんピンチのドラマBOSSを楽しみにしていて、夕方からは覚えているが午前中とか昼食後に何をしていたかなかなか思い出せない。しかし記憶をたどると、心情は全く思い出せないのだが、GGXのことを考えてゲームクリアまでやった、ではそれ以上極めて何になるか。もちろん欲しいのは大会優勝とかの名声だろうと。
権力と名声は違うよな、とか、権力ってそもそも封建制でない時代に思い込み以上に存在するものなのかとも考えた。俺は格闘ゲームでゲーセンで勝っていた頃に恥ずかしい話だが合コンで自慢してその場に居た女にめっちゃバカにされたのを根に持っていたのだが、そこで「コンピュータに勝てば十分」と言われたので「女って対戦よりコンピュータ戦強いほうが良いの?」と思ってしまったのだが、ウメハラのネット人気やときどのテレビ出演などがその後にあって、今更ながらに相手の思っていたのと様子が随分違うことは理解されたが、俺の方もゲームに既に引いている部分もある。自慢していた頃は1日8時間ゲームをすることもザラであったが、近頃は1日30分やるかやらないかで、この関係性は見事に相手にバカにされて従ったわけだから、極端に言うと惚れたら負けみたいなもので結婚したとしても尻に敷かれるパターン。相手が権力を行使しているんだなと妙に納得すると相手のことがどちらかと言うと嫌いに思い始めたが、夕方になってみるとそもそもウメハラやときどみたいに名声を得たいという気持ちも消失していた。これってもしかすると午前の記憶が曖昧なので別人格的な何かが名声を欲していて性格が入れ替わったのか、治ったのかはまだ良くわからない。とにかく朝は権力と名声のことばかりどういうことだろうと考えていた。
考えていたことをついでに書くと、権力といっても暴力のない時代、主な実力行使の関係性はお金にかかわることだ。犯罪は警察という暴力で抑止されているが、暴力以外に人が誰かにしたがうというとお金である。それは権力と言わずに利権と呼ばれる。会社と従業員の関係がそうだし、千円札とラーメン屋とかでもそうであって、お金が欲しいという人は大金を無限の権力と捉えているから欲しいのだよな。俺も20代はお金のために働いて大金を手にしたら労働から開放されると想像していた。近頃はお金は必要以上に使わずにお金で人を使おうとする人の言いなりにならないためにお金をもしものために持っておこうと考えている。ゲーセンで対戦1回に100円払うのは惜しいし、ゲームで勝ちたいと言ってももし100円もらって負けろと言われたら負けるかもなと考える。プライドを持つべきはそこなのか?という自問自答をする。100円で負けられるのは既に真剣でないからで、賞金100万円の大会のひと試合は100円では譲らないだろうが、普段は負けて100円なら負けられる。反対にウメハラやときどと同じくらいの規模の大会優勝の名声をお金で買えるなら100万円くらいは出しても良いかなと思うけど、出してやってもらわないと、会場取ったり筐体搬入したりチケット配ったり放送したりといろいろと考えると、100万円をただばら撒くだけでは成立しないだろうなと言う目算を立てている。もうちょっと大きな額の名声だわあれは。
まあ、誤解してほしくないのはゲームを通して画面を見て操作して自分が勝つという体験そのものを無視して大会優勝という既成事実をカネで買おうとしているというわけでなく、ゲームはゲームで楽しんでいるが、今の競技レベルは楽しいと思うレベルを超えたところまで選手として追い込まれている人がいるということ。本当にそこまでやったら強くなるのかは疑問で、運営組織の問題で勝者がある程度決まっているのなら金で買ったほうが早そうだということ。ツイッターで100万円プロモートに使ってみんなで「ミヤザワさん!」って言ってくれ!みたいなイタズラとどう違うのか、みたいなことも合わせて考えたい。1ツイート100円なら1万リツイートくらいか。それなら「イナフネさん!」とつぶやいたら100円もらえるなら1万アカウント作って100万円もらいたい、みたいなさ。
名声を手にした後にどうするか、みたいなことは全く考えていないが、得る前からそこまで考えるのは取らぬ狸の皮算用というわけで。


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