たぶん大学では教えてくれない本当の経済学

明治から昭和にかけての古い本を読むと、円の価値がいまよりずっと高い。

令和元年の現在では通貨の最低単位は1円であるが、以前は100銭で1円だった。

そして今では数万円から数十万円するような着物が100円くらいで買えている。

まあ、文章なので、晴れ着のような立派な着物でなく、安いシャツのような感覚の和服が当時にはあって、それが100円だっただけなのかもしれないが、いまどきGUでシャツを1枚買うのでも500円から1000円くらいはいるだろう。

ところで、俺んちは俺が子供の頃には地方新聞の長者番付に載るほど金持ちだった。名字の通り宮家であるが、爺さんは戦争で兄弟をみな失い社長令嬢と結婚して対外的には文具店を経営しながら家賃収入や株式のインカムゲインで財を成した。

成したのか元々結構あったのかは爺さんも婆さんも死んでしまって分からないが、俺の生きる時代会社員をして貯めたお金で株を買って配当を得ようとしてもせいぜい年間3%である。これが昔はもっと利率が良かったのだという。銀行金利もそうだ。

だが、冒頭の物価の上昇を併せて考えると金利が10%くらいあったとして、銀行に預けた金が複利で増えていくとなかなかにとんでもない金額になるのだが、同じように着物もとんでもない金額になっているのである。

たぶん大学では教えてくれない本当の経済学と大袈裟なタイトルを銘打ってしまったが、投資による金利の収益は見た目の数字は増えていくが、それでモノがどのくらい買えるかという現物価値の増減は物価指数と照らし合わせて比率的に預金有利にならないと成しえないのである。

このため年々に造幣局で現金が作られ、現金に見合うだけの輸入と製造が成されて、国家予算は膨らみ、現代では主に消費税に代表されるように増税される。

おじいちゃんの代に長者番付に載っていた俺んちで何故俺が今でもPS4でなくPS2鉄拳5をしているかというと、インカムゲインで家電やゲーム機を出るたびに新調していると赤字になるからである。これは親の代で少なくなってきた金利での元手はあるが増分で暮らすには貧乏という状態に両親が耐えきれず、元手を崩して親兄弟がパーっと使ってくれた影響なのである。

爺さんはカネを使わない人だったが、俺が子供のときには周りのほとんどの子供よりお小遣いをたくさんくれた。俺はまだ独身だが、孫ができる頃には不自由しない暮らしと充分なお小遣いをあげれるお爺ちゃんになりたいと思って減った元手をこれ以上減らないように昼食をカップラーメンにするくらいのことから節約を始めている。

一方でパッーと使ってくれた兄弟はみな働き始めている。お金を使うのがお金持ちの役割だという思想を持っているようだが、俺の目から見て雇用されてもらった給料で暮らすのは金持ちだとは思えない。労働階級に身を落とし消費を美徳だと勘違いしているだけである。

皆は俺が何故怒っているのかわからない、お金こんなにあるのにパーッと使って何が悪いのよと言うのであるが、少なくとも親父は俺の考えていることに生きている間に気付いてくれた。俺がネットでこの話をするのは、自分だけ出し抜いて得をする商売でなく、みんなでやるともっとみんな上手いこと行くやり方があると考えるからだ。

時期を見て、追って書く。どのくらい拡散してくれるかは分からないんだけど。


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